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Д40 願望が叶う時
引っ越しました
引越し先は中心地から車で10分、庭付き車庫付きのいわゆる複数の家が周囲とは壁を隔てて集まっていて、ゲートというか入り口の大きな門を開けてもらわないと敷地内に入れない仕組みになっている、安全なつくりの家です。
二階建てで日当たりがよく、のべ200平米以上ある家なのですが家賃は払っていません。
ここまで読んでコイツとうとうホラ吹き始めやがったと思ったかもしれませんが、残念ながら本当の話です
早い話が彼氏の家に住むことになったのです
もっと言えば、5年前に私が逃げ出した場所に戻ってきただけ
嬉しくも何ともないです
感謝なんてほぼ無いに等しい状態です
ここに来て、気がつきました
ひょっとしたらこれって、私が「乗らなくてはならない流れ」なのかもしれないと。
本来ならお気楽に流れに乗っていれば、あらゆることが真我様の勢いであれよあれよと起こってハッピィに過ごせたはずなのに
それをワタクシの自我があーでもない、こーでもないといらん理屈をこねくり回したせいで違う方向に向かい
その結果、えらく遠回りして結局通らなくてはならなかった道に再び戻ってきただけ
のような気がする
「お気楽に、素敵なお家でお金を気にせずオサレにのほほんと暮らしたい」私の願望は一番近いところに既にあった
そこから目を背けていたのは自分じゃねーか
と言われたらそれまでなのですが、当の本人が全く喜んでもいなければ感謝もしていない上、願いが叶ったなんてこれっぽっちも感じてないことをここまではっきり認識した以上はもうね
多分これがそれ
願望実現て、自分にとって「あって当然のこと」を指してるんですよ
だから感謝だの嬉しいだの、そんなのない状態
だって叶って(既に実現していて)当然のことなんだもん
無くして初めて気が付くありがたさ、とかもない(過去5年間全くなかった)
だって当然そこにあって、いつでも手に入って、あえてそれを手に取らなかっただけだから
なんなら正直な話、今現在私は「クッソ、さっさと出てってやる」くらいに思っています
お金が欲しいという願望が叶っても、幸せになるとは限らない
の家バージョンを絶賛体験中🎵
おそらく私は何かを勘違いしていたようです
願い方を間違ってたとかじゃなくてね、何だろう
自我との距離感ていうか、こうしたい、あれがいい、こういうのを感じたいという漠然とした欲求を、私達は自我を通して認識するでしょ?
でも自我は少しお馬鹿さんだから、おかしな概念を通したり勘違いの現象をそれに当てはめようとしたりしちゃうみたいでね
だから、そのお馬鹿さんな自我が思考を通じてこれが欲しいと表現しようとした元々の「欲求」(湧き上がってきた感覚)のようなものを真我の私が「ああ、これね」はいどうぞ。とスムーズに渡してくれたところで
それに絡めた「おかしな概念」やら「勘違いの現象」やら、それに伴って起こると期待していた「わぁ、嬉しい」「きゃぁ、素敵」という幻の満足感がセットで起こってくれないと
願望が実現してもそれに気づかないという
アホくさ・・・
正直言って、単に私が性格の悪い高飛車な女なだけなんじゃじゃねーのか
っていう結論に至ってしまい、しかもそうあることが願望実現の最速最強な道なのでは無いかとうっすら気づいてしまった
引越し二日目の朝なのでした
ちなみに荷物を運び込む数日前には、巨大なモニターやらキーボードやらタッチパッドを部屋にセッティングされて、手持ちのマックブックを絶妙な角度でセットするだけで、まるでトレーディングのプロのデスクみたいに至れり尽くせりなことをしてもらったんですけどね
(ちなみに5年前はモニターは2個あったので、三面鏡状態だった)
肝腎要の私は、これっぽっちも感謝なんかしておらず
それどころか「画面デカすぎて目に悪いじゃねーか」とこっそり電源を切ってため息をついたのです
そしてようやく今朝、なんか私勘違いしてるかもしれないと(チキンな自我が)気づいて、それを忘れないようにこうやってキッチンのカウンターでちまちまと記事をアップしているのです
取り急ぎ、現場からは以上です
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