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Д 28 静寂を保つ

さて今年に入り、脳内自動思考ストップチャレンジの次に始まったのは
思いもよらなかった「真我との対面」チャレンジでした

ネドじゅんさんのサロンで知った、ガンガジさんの本からパパジ、ラマナ・マハルシの本へと繋がり

おいどうした、意図的な現実創造の法則探究は!という心の声を置き去りに
今じゃぁ毎日YouTube見ながら一人サットサンをする日々ですよ。いやもう全く

もうこうなったら行くところまで行こうと思います
どうせすぐに飽きるのが分かっているので、こういうのは衝動が起こった時に心ゆくまでやらなくてはね

で、
少し前にイメージで垣間見た「動かない湖の表面」

あの時は普通の状態から一気にその表面自体にジャンプした感じだったのですが、その後もう一度それを感じようとすると、全くうまく行きません

そこでパパジのビデオや本を見て、色々な方向からその事実を眺めてみたところ
とても簡単な答えがわかりました

「何もしてはいけない」
何かしようとするから、上手くいかないのだと

真我へ戻ることは、一瞬で起こるとても簡単なことだというパパジ
そして実際サットサンの最中に、それを求める人をその場で覚醒へと連れて行ってくれる様子を見ている内に、自分が一種の変性意識状態になっているのに気がつきました

その状態で瞑想、というか「自分は誰なのだろう」という疑問を持つという試みをしていると、今までになかったような内側の旅のようなものが始まったのです

残念ながらそこに思考を持ち込むことができないので、今のところはまだ言葉で説明が全くできないのですが、もう少し深くまで辿り着けたら説明できるようになるのかもしれません

言うまでもなく、真我チャレンジにおいても相変わらずのおかしな遊びを毎日発見しているので、シェアしときます

心、思考から離れるという遊びです

楽な姿勢で(私は寝る前にぬくぬくとしたベッドの中で十分にリラックスしてやりました)ゆっくりと息をします

吸って 吐きます
その時、吸っている状態を無視します
吐く前の一瞬呼吸が折り返す、つまり止まる瞬間に集中します
そして吐きます
吐く時もその状態を無視します
そして吐き終わって吸い始める寸前の、一瞬吸っても吐いてもいない
折り返しの地点が来たらそこに注目します

呼吸の折り返し地点に起こる「なにもない一瞬」をじっと待ち構えて、それが来た瞬間にそこにいる、というゲームです

常にそこにある真我との一瞬のランデブー

私たちは呼吸をするとき、吸うことと吐くことに意識を向けています
でも、吸うことと吐くことの間にある一瞬の、真我が今ここに現れている瞬間を無
視しています

身体の動きから離れて、思考からも離れて
気づいてないだけでいつもここにある、「真我と溶け合っている今」にいる感覚をお手軽に味わって、それに慣れていったら一体何が起こるんだろう

また違う遊びを思いついたら、シェアしたいと思います



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