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オタクって生き方が素晴らしいことなどとうの昔に知っている

はじめに

タイトルはとある漫画の好きなキャラクターの台詞を少しオマージュさせてもらっています。
先に断っておくと、ただ使いたかった。ただ言いたかっただけです。それ以上の意味はありませんので、予めご了承くださいませ。

この記事は、
オタクって楽しい。
夢中になれるほど『好きなもの』があるって素晴らしい。
そんなオタクとして生きることができて、とても幸せだ。

このような結論を、私のオタク遍歴を交えながら長々と語っているものです。
いわばただの自己満足のために書いております。
読んでくださる方は、以上をご理解いただいたうえでどうぞ。
↓↓↓

私はここ数年で急激に世間が、“オタク”という存在に対して肯定的な印象を持つようになってきたと感じている。
『推し』とか『推し活』『推し事』
そんな言葉が当たり前に使われるようになってきて、どこかの研究では今や日本は人口の2割が何かしらのオタクで、2030年にはオタク人口が全体の4割を占めるようになるとか。正にオタク全盛期だ。
ちなみに『オタク』と一口に言っても、非常に様々な種類や分野がある。
私はそのなかでもアニメや漫画への関心がとりわけ強いオタク――いわゆる『アニメオタク』だ。

そんなアニメオタクな私だが、今のこの世間の状況に対して色々思うことがあった。
私は物心がついた頃にはアニメや漫画が生活の一部で、小学生の頃にはアニメや漫画がかなり好きな部類の人間。そして中学生にあがる頃にはオタク、高校生ではもう立派なアニメオタクに仕上がっていたように思う。
もっとも、私が小学生・中学生の頃には、ここまでオタクという単語自体が広まっていなかったように記憶しているし、そもそもオタクの定義とかがしっかり定まっているかといえばそこは今も曖昧だ。
だから現代におけるオタクとは、自分がオタクだと認識したらオタクと名乗れる(?)みたいなところがあるかもしれない。
少し話が逸れるが、私には私のなかで勝手に定義しているひとつのオタク段階というべきか、オタク区分がある。
それは世間では『オタク』と一言でまとめられてしまうようなものを、敢えて次のように簡易的に分けたものだ。

①【アニメ、漫画好き】
話題になっている漫画のコミック本を借りて読んだり買って読んだり、放送されているアニメを基本的に一通り見ることで満足できる人たち

②【比較的軽めなオタク(ライトオタク)】
買って集めたコミックを何度か繰り返し読んだり、同じアニメを何周か観たりすることを楽しむことができる人

③【立派なオタク(ディープオタク)】
同じコミックを繰り返し読む、同じアニメを何周も見ることはもはや当たり前だという感覚
またそのコンテンツのグッズやイベントといったものに対しても『その作品、キャラクターが好きだから』という思いで、お金を使うことに喜びを見出すことができる人
短期間のうちに同じ映画に5回以上行くだとか、同じグッズを2つ3つ買うだとかを日常的に当たり前に行う域にいる人

これは私の中ではオタクの縦の部分。だから段階とも表現している。
上記はあくまで私のなかでの区分であり、どれが良いや悪いなどジャッジの意思は一切なく、ただ同じオタクといってもそのコンテンツへの熱量や傾倒具合は人によって全く違うことがあるということがわかってもらえたら幸いだ。

そろそろ話を戻そう。
今でこそアニメオタクひいてはオタクは世間から肯定的に受けとめられているが、一昔前はオタクは蔑称のようなもので、周りから冷ややかな視線を向けられるような存在だった。
まずそもそも今当たり前に使われているのはアニメ『オタク』だが、以前は『ヲタク』の方がよく使われていたと思う。
良くも悪くも、一昔前の『ヲタク(オタク)』はその人口が少なかった分『ヲタク(オタク)』であることそれ自体が、ひとつの大きな個性でもあったように感じる。
ただ現在はアニオタ人口も劇的に増えたうえにオタクの定義や線引きは曖昧なままなので、アニオタであることは、ある種の主流のようなものになってきた感が否めない。
当時から他者に冷ややかな目線を向けられようとも、自分の好きなアニメや漫画の素晴らしさ、魅力を最初から分かってずっと好きで追いかけ続けてきたのがアニメヲタクたちなのだ。
コロナ禍の影響もあって、世間がアニメや漫画の持つ可能性や魅力、素晴らしさに気づき始めた。そしてアニメオタクをはじめオタクが世間から受け入れられ、それまでのオタクへのマイナスやネガティブなイメージが払拭されつつあること、それはとても素晴らしいことである。
素晴らしいことなのだが…、
いわゆる結成当時からずっと好きで応援し続けてきたバンドが、メジャーデビューして人気になったら嬉しいはずなのに、少し複雑な思いも生まれてしまうというアレだ。古参ファンの複雑な胸中というか、おそらくそれと似たようなものを私も感じたのだと思う。
あとはやはりSNSの発達で、オタ活をするうえでとても便利になったのはいいが、凄まじい情報量と、それまで自分の近しい存在くらいしか知らなかったようなところから、一気に大量の同じオタクとしての他者の存在を感じるようになったのが、そうした複雑な胸中に至った要因だと考えている。
まぁただこれは、2022年頃までの話。
今はそんな世間のオタクウェルカムな姿勢も、アニメ、漫画に関するSNSの情報の嵐も、ある程度順応してこれていると思う。
オタクは今や、この時代そのもののように多種多様で、個人の楽しみ方や価値観も非常に多岐に渡り、広く深く、面白いカテゴリーであり、一つの生き方だ。

だからこそわたしはこのアニメオタクという幸せな生き方をこれからも貫きたいと思っているし、大好きでたまらない作品やキャラクターたちについて語ったりこうして文章を綴ったりしたいと感じるようになった。
そんな気持ちを形にした第一歩。
これからどんどん私の内にあるオタクとして誇りや、大好きな作品やキャラクターへの愛や情熱を文章にしていこうと思っている。

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