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2023年を振り返って、いま感じること

コーチングの仲間のみなさんが毎年の年末に振り返りをしているのを読んではいたが、書くより話す方が捗るタイプなので、あえてnoteに起こすことはしてこなかった。

のだけれど、この2023年はこれまでの人生の中でも、あまりに大きな変化が起きた年になったので、さすがに記録しておきたいなーと思いnoteを書くことにした。ハイライトすらつけない雑文ですが、ぜひ読んでね。

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「仕事」とはなにか、改めて考え直した

会社員を辞めてフリーランスになる

2022年の10月、前職のスタートアップが解散することになり(正確にはその前から辞めることは決めていたのだが)、代表以外の社員はすべて退職することになる。その後のキャリアをどのようにしていくのかをじっくり考える機会を得た。

この解散はかなり痛みを伴うものだったので、これを絶対に無駄にしたくないという気持ちと、まだ前に進みたくないという気持ちのどちらもがあって、とても苦しい時期だった。仲間と協働すること、共通の目的を心から共有することなんてできないのではないか、という疑念が足を重くさせていた。

そんな中で、解散直後の11月にふたつの仕事の話が舞い込む。ひとつは後述する大学の非常勤の話、もうひとつは以前一緒にワークショップをやった社会起業系のスタートアップ。

これを受けると(特に大学の非常勤)フルタイムでの仕事は厳しくなるので、自動的にフリーランスの方になるということで迷いに迷ったが、このタイミングで参加していた榎本英剛さんの本当の自分を生きる塾という講座に参加しており、詳細は伏せるが、あまりに偶然が重なったことで大学の仕事を受けることに決めたことで、フリーランスになることを決めた。

お金を稼ぐorやりたいことをやる

フリーランスとして仕事をしていくことを決めて、まずは贅沢を言わずにどんな仕事でもやっていくぞ!という決意のもとで仕事をしていく中で、何度もぶつかった(現在進行形でもある)のが「お金をとるか、やりたいことをとるか」という問い。

本当は二者択一ではないと頭ではわかっているんだけど、これに振り回されていたのが2023年の前半。まずはお金を稼ぐことにコミットしていた時期も、それを手放して改めてどんな仕事をしていくか(特に業務委託で仕事を受ける場合においては顕著に)を決めていくという時期も経験することができた。

ただ、経験している当初は答えのない2択の中をうろうろしているような印象だったので、苦しみや焦り、不安のような気持ちもあったが、いま振り返ってみると、稼いだ時期は耕す時期としてきちんと機能しており、そこでのお金を次のやりたいことに繋ぐことができたり、そこでお金にならなくともやっていたことの経験から、さらに次の仕事につながったり。

バランスをとるということは中間に立つということではなくて、両極にそれぞれ立つということだという比喩をすることがよくあるが、それをとても実感することができた。まだ不安に襲われることはあるけれど、なんとなく生き方のシフトができてきた感じを感じている。

社会との繋がりなくして生きられない

会社員ではなくなったこと(そして後述するが長野に移住したこと)で、定期的に会う人というのが少なくなった。これまでもスタートアップで超少人数でやっていたので、そもそも限られてはいたが。

仕事のほとんどはリモートワークで、オンラインでの繋がりがほとんどになってきていたこともあって、周囲にリアルな人がいることの素晴らしさを感じることが多い年だった。リモートばっかりだとマジでさみしい。

ただ、ここから見てみたときに、果たしてオフラインで会っている人たちは繋がりに満ち足りているのだろうかということもよく考えた。都会の友人たちに会った時に、日々の仕事はオフラインでしていても、どこか閉じていて繋がりのない日々を過ごしているというような話をよく聴いた。

そこに共通していたのは「社会を信頼できない」「社会に適合しないといけない」「仕事において自分らしくいられない」というような視点であり、それはまさしく、自分自身がコーチングを、もっと前のキャリア支援や教育の事業をやりたいと思ったきっかけだった。

社会との繋がれなさ、他者との繋がれなさは、根本を辿っていくと、最後には自分との繋がれなさに至る。自分と繋がり、他者と繋がり、そして社会へと繋がっていくことこそ、人が自分の人生を満足したものにしていくために重要なものだと感じていたことを、自分自身が社会から少し距離を置いてみたことで改めて気づくことができた。

これまで、そしてこれからの人生の中で取り組んでいきたいのはここだったんだと気づき、悩んでいた個人事業主の屋号は「人と社会をつなぐラボ」にした。2023年3月ごろの出来事。

「コト」としての仕事の変化

教育業界に復帰、学校教育への関わり

先述した大学の非常勤の誘いもあり、教育業界出身者として、そして大学を留年し、教職を途中で断念したものとして、やや距離をとって避けていた学校教育の場に立たせていただくことになった。

自分自身の学校体験というものは、正直なところ先生とも友人関係でもいい思い出は少なく、そのため学校教育の場に立つというのは強い抵抗があったが、数々の偶然(と誘ってもらったことへの光栄さ、感謝)から引き受けることとなった。

ぶっちゃけ今でも学校はちょっと嫌いだし、でも、そんな自分だからこそできる関わりがあるのかもなーと、1年間のプログラムを終えようとしているこのタイミングで思う。授業ってつまんないよね、なんのためにやってるのかわかんないよね、俺もそう思う。

CTIの門を叩きコーチとして学び直す

2月に基礎コースに通い、そこから8月に応用を終え、10月から上級コースに進んでいる。ZaPPASでコーチングを学び、そこから色々な場所に顔を出してコーチングに統合するということを繰り返してきた。クライアントにも恵まれて様々な体験をさせてもらったが、どこかでひたすら場当たり的なセッションをしている感覚を持っていた。

これまでの学びを統合したオリジナルのコーチングといえば聞こえはよく、自分の感性と人生経験、そして自分なりに磨いたテクニックを生かしているという自信を持っていた一方で、重厚感が感じられない。土台がないのに建物だけ立派に出来上がっているような感覚があった。

自分自身で守破離の破とか離とか言ったり思ったりしている時は大抵の場合は守であるというのが、これまで生きてきた持論である。ということでコーチとしての土台を作り直そうと考えたとき、ずっと気になっていたCTIに通おうと決めた(実際には金額に尻込みしているところに、背中を押してくれた数多くの友人のおかげで一歩踏み出せた)。

CTIの学びは非常に刺激的で忘れられないものばかりだけれど、特に印象深いものをあげるとしたら、一番最初の基礎コースでの学び。印象的だったのは、参加者の多様さと、その人たち全てにインパクトを与えるワークショップが存在するという衝撃だった。

自費で参加している人ばかりではなく、企業の研修で参加している人もいる中で、すべての参加者になんらかのインパクトが起きているというのは初めての体験で、コーアクティブの奥深さを感じられた瞬間だった。それに加えてコースのリーダーが受講者の学びのために、自分自身の弱い(と普通だったら思っちゃう)部分もリソースにしていく姿にもめちゃくちゃ衝撃を受けた。

その後のことは、上級コースを終えてCPCCを取得できた時にでも振り返ろうかな。

起業家・企業支援を通した社会活動

主にフリーランスとしての業務委託では、経営や人事などの分野で、スタートアップや創業初期(や創業前)の支援をしていた。特に創業前〜創業初期の支援という部分には力が入っていたなと感じる。

特に心に残ったのが社会起業をしたい若手を支援するプログラムに運営として参加させてもらったこと。参加者も運営も色々な人がいて、器用な人ばかりではない(というか、いい意味で不器用な人ばかり笑)中でも、それぞれが自分なりに生きていて、その繋がりがリソースになっていくという瞬間を目にすることができた。

いまの社会の中心には間違いなくビジネスがあり、資本があるのが現実だと思う。これからの社会がどのようになっていくかわからないけれど、個人的には脱・資本ではなく超・資本になっていって欲しいなとも思っていて、だとすると、自分自身がここと向き合わなくてどうするとも思うし、これからもこのフィールドで自分を表現している人たちの支援がしたいなと感じた。

起業だけではなく、いくつかの組織の経営や組織開発にも関わらせてもらった。フェーズの違いはあれどやろうとしていることは一緒で、社会に向けて表現されたがっているものはなにか、それを一緒に丁寧に拾い上げながら形にしていくというプロセスは、かけがえのないものだなと思う。

人との「つながり」を紡いでいった

パートナーとの出会い

20代後半に結婚を意識したパートナーがいたのだけれど、タイミングが合わずに別れを選ぶことになった。そこからしばらく距離をとっていたパートナーシップだったけれど、CTIの上級コーススタートにつき10月からスタートしたマイコーチとの導入セッションで、心からパートナーと思える人に出会いたいと話した。

そこから数ヶ月と経たないうちに、いくつもの出来事が重なって、つい最近のこと、本当に信頼したいと思えるパートナーができた。関係性にはすべて終わりがくる、それを恐れていた自分だったけど、このパートナーシップがどんな結末に向かっていくのか楽しみな自分がいる。

まだ始まってまもない関係性。だけどすでに多くの影響をここから受けていて、ワクワクしかない。俺たちどうなっていくんだろう、素敵な関係性をつくっていこう。これからよろしくね。

幼馴染の子どもが産まれた

2歳の頃からの幼馴染がいる。一人っ子の自分にとっては、彼は兄弟のような存在(同い年だけど)で、あまりに小さい時から近くにいたので、一時期は強い苦手意識があったり、一挙一動にイライラするような時もあり、関係性に亀裂が入ったことも幾度となくあったが、その度に修復してきたような関係。

そんな幼馴染にはじめての子ども生まれたのが3月のこと。事実上の姪っ子の誕生である。それはもう衝撃的で、生後1ヶ月くらいに会いにいってから、往復300kmくらいの旅路を季節ごとくらいのスパンで足繁く通っている。

人生とは受け継いでいくものだと思っている。これまでは社会人の中でも若手という立ち位置(特にコーチの学びの中では若手なことも多かった)と自認して、これからは自分たちが受け継いでいくんだと心を熱くすることも多かったが、幼馴染の子どもと出会った時に、そうか、これから俺たちも受け継いで、渡していくんだと強く感じた。

ああ 全て与えて帰ろう 
ああ 何も持たずに帰ろう
与えられるものこそ与えられたもの
ありがとうって胸を張ろう

『帰ろう』藤井風

帰郷、そして船出

昨年末に11年間住んだ東京を離れて、長野の実家に戻った。長野で暮らすために実家に自室を改めて確保し、ペーパードライバー(なんと免許とってから10年運転していない!)となっていた車を練習し、ついにはマイカーを購入した。

生まれてから18年間を長野で過ごし、当初は大学の4年間だけのつもりで東京に出た。そのまま流れで東京で就職し、気づけば11年の月日が経っていた。思えば、東京で仕事をしながらも、ずっと心の中では東京には一時滞在で、本当に住んでいるのは実家だったように感じる。

今回の帰郷は、一時滞在を終え、本当の意味で実家から出ていくためのプロセスだったように感じる。流れに乗るままもいいけど、自分で選んで改めて東京で暮らすことを選ぶ。なので2024年は東京に戻る予定です、みんな仲良くしてね。

おわりに

こうして振り返ってみると、2023年は本当に濃かったんだなと改めて実感。特に、たくさんの人との出会いに恵まれ、それが人生を動かしてきたように実感した。

2024年は「かわいく生きる」「CPCC取得」「協働してなにかを作り上げる」「あらゆる手段で自分を表現する」「表現のぶつかりあいを起こす」が現時点でのテーマです。抽象度バラバラで面白い。笑

改めて2023年はありがとうございました。来年もよろしくお願いします!

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