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beingという言葉

不可抗力で心がざわつく出来事があった。
(詳細は割愛)

私にできること、
気持ちの切り替え。

できないこと、
他人の行動、言動を変えること。

夫は、平日は帰宅も遅く土日も仕事(ほんまか知らんけど)。
ワンオペの毎日。
不登校の娘。
ゲームと野球ばっかりで、いまいち心が通う感じがしない息子。
3歳目前で常に抱っこ、超偏食の末っ子。
夫は、仕事がしんどすぎて、私とすれ違っていることすら、『妻が優しくない。労ってもらえない。俺は家事もできる限りやっている。俺は自称『これ以上文句のつけようがないくらいいい夫』
『妻が自分のやりたいこと、仕事のことに気持ちがいってるから、家の中がバラバラになってる』と怒られる。

さて。現在20時、息子を迎えに行かないと行けないけど、末っ子は寝てしまったし、長女は当てにならないし、夫は帰ってこないし。
末っ子を家に寝かせたまま出かけるわけにはいかないけれど、やっと寝た3歳児を起こしてしまうのは忍びない。
こんな時夫に頼れたらいいのに。
家にいてくれたらいいのに。
いつもいない。
頼りにするのはとっくの昔に諦めてしまった。

私は、もう休みたい。

泣けてくる。
あとは、みんな好きにしてくれ。
私は消えたい。
ほっとけ、このやろう。

#being
とつけてハッとした。
この私の感情は、日々起こる出来事とその感想。
私の在り方。という視点が抜け落ちていた。
そうそう、私はどう在りたいか?
そういう視点で考え出すと、
どこからか勇気が湧き、視座がフッと上がる感覚がある。

自分を生きる。
日々の雑念に揉まれながら、それでも心動く物語を生きよう!
例えば、コーチングを、学び、大切な人や次の世代の人と話すこと。
キラキラの笑顔で、コンポスト講座をする自分の姿。
そんな未来を想像している。

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