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あなたを一番愛していた【my story 3】


表面的にはうまくいってる風に生きていた私が

強さも弱さも出しながら

自然体で生きられるようになった9年の変化。


人の目ばかり気にして

行動していたところから40代に入って

15年のライター業 → 心理コーチに転身。


本音に向き合うことで

ダメな自分を隠さず、どんな自分も肯定し、

ファンができるあり方までの変化を伝える、

my story 第3話。


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前回は、不安の海をさまよっていた話を

書きました。


今回はいよいよ、

自分と本格的に向き合う物語です。



母のうつがきっかけでした


3年間の不安トンネルから抜け出し、

1年ほどたった2015年初め。


実家の弟から

「お母さんがうつかもしれない」

と連絡がありました。


その頃、3歳の次男がぜんそく気味で

毎晩救急車を呼ぼうかどうか、

ハラハラするくらいせきがひどかったため、

母に会いに行くことができなかった。


そこで私は

うつを治すための心理療法を探し、

心理メソッドを学びはじめました。


それが今、私が

セッションや講座を提供している、

「ストレスクリア」メソッドとの出会いです。


初めて門をたたいた心理の世界は

知らないことだらけで、ちんぷんかんぷん。


それでもこのメソッドで

うつが治った症例があることに光を見出し、

なんとか母を元気にしたいと

心と体、現実のつながりを学んでいったところ・・・


母がなぜうつになっていたのかが

鮮明にわかっていったのです。


それは、母がうつになることで

手に入れたものに気づいたからでした。



母が心の底からほしかったもの


40年以上働き、次男誕生のときには

沖縄まで来てくれた母。


その4年後には

料理ができなくなり、運転もしなくなり、

何もできない状態になりました。


そんな状態になってまで

母が何を手に入れていたか?


その答えは驚くべきものでした。


母がほしかったのは

「父」だったのです。


父の浮気もあり、オラオラ系の性格もあり、

離婚届けを5回も渡していた母でしたが

父は受け取らず、叶わずで。


それがまさか60代になって

父にそばにいてほしくて

何もできない状態になっていたなんて。


ようやく母に会って気がついたこと。


あれだけ別れたいと切望していた父に

母は、手をつないでもらったり、

抱きしめてもらったりしていました。


子どもたちの目をはばかることなく

自然に、素直に、むじゃきに。


父を大好きなことを

全身で表していました。


そして、とても安心していました。


体重が32kgまで落ち、

体力がなくなり

何もできない状態になって

本当にほしいものを手に入れていた母。


何もできない状態になって

ようやく、ほしいものを素直にほしいと

手をのばしている母を見て

私は涙がとまりませんでした。


もちろん母は

なぜうつになって苦しいと言っているのか

気づいていません。


それぐらい心理というのは奥深く、

本人にすら

心と体のつながりが見えていない。


そういうものだと

一番身近な肉親が教えてくれたのでした。


感情にフタをしていた!?


母が30年近くにわたって

本当の心の声を封印して生きてきたんだと

気づいたあたりで

私自身も、本音にフタをして

生きていると気づいていきました。


母のうつをなんとかしたくて学びはじめた、

心理メソッド「ストレスクリアのセッション」で

私が、私自身の心の声に気づいていったのです。


その頃は、不安のトンネルから抜け出して

2年ほどたったあたり。


深い暗闇から

やっと光のあたる場所へ来たこともあって

「悩みなんてない!」と思っていました。


あの不安の闇を生きてきたことを思うと

全てが小さな悩みにしか思えなかったから。


でもね、違った。


小さな頃から私は

全く自分を生きていませんでした。


両親の不仲、共働き、長女、

いろんな環境も折り重なり

私は望みをぐっと飲み込むように

なっていたのです。


それがいいと思っていたんでしょうし、

大好きな母の負担になるまいと

幼い心で考え、

自然にそうなっていたのでしょう。


そんな私から出てきた、

驚くべき深い最初の本音が

「愛されたい」でした。


ワタシハ

アイサレタイノ?

 

愛されたいと

切望している自分がいるなんて

40代になるまで

全く気づかず生きてきました。


だけど、愛されまくりたかった

のが本音。笑


関係性が希薄で浮気もしてたし、

ほとんど会話がなかった父に

ちゃんと愛されていたことに気づいたら、

今度は母に愛されたかった私が出てきたのです。


ずっとずっと愛されたかった


幼い頃に封印した、

母に愛されたかった思い。


きっとね、その言葉を伝えて

大好きな母に

大好きよと

言ってもらえないんじゃないかって

思ってたんでしょう。


そんな恐ろしい言葉が

返ってくるくらいなら

愛されたい思いは伝えないほうがいい。


そうやって

どこかに封印してしまった気持ち。


そして、自分は

愛される存在じゃないのではないか

という怖れ。


言葉を飲み込み、封印するほど

母から愛されたかった自分に気づき、

号泣した2日後。


母から電話がきて

驚くべき言葉を聞いたのです。


「あなたを一番愛していた」と。


ワタシヲ

イチバンアイシテイタ???


何を言ってるの???


母は女の子だし、長女だし、

私に甘えていたこと。

でもちゃんと

大切に想っていたことを伝えてくれました。


その瞬間、私は初めて

足の裏が大地についた感覚におそわれました。


初めて地球に立った気がしたのです。


どうやら私はずっと

自分の居場所がどこにあるのかわからず、

地に足をつけて生きることが

できていなかったようなのです。


居場所がないなんて

思ってもいなかったから。


とても不思議な感覚でしたが

その時に初めて

自分は存在していいと感じたし、

存在の肯定・命の肯定を

自分自身にできたのです。


そしてこの

自分自身の存在肯定ができた日から

私の大きな変化が始まっていったのでした。


つづく

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