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不安のなかでもがいていた日々【my story 2】


表面的にはうまくいってる風に生きていた私が

強さも弱さも出しながら

自然体で生きられるようになった9年の変化。


人の目ばかり気にして

行動していたところから40代に入って

15年のライター業 → 心理コーチに転身。


本音に向き合うことで

ダメな自分を隠さず、どんな自分も肯定し、

ファンができるあり方までの変化を伝える、

my story 第2話。


*********************


前回は、沖縄へ移住するきっかけとなった

できごとを書きました。

今回は沖縄暮らしのスタート当初の話です。


妊娠7ヵ月からの2人暮らし


沖縄にわたった2011年6月。

飛行機から降り立って驚いたのは

水分をみっちり含んだ異国のような湿度。


そのむんむんとした空気に

少し不快感をおぼえつつも

それはすぐに、やっと全く違う場所に来たんだ

という安心感に変わっていきました。


全身に力が入っていたのが

ほっとゆるんだ感じ。


あの時の何とも言えない安堵感は

忘れられません。


1ヶ月だけの約束で

マンスリーマンションを借りて

妊娠7ヵ月の私と3歳長男との

2人暮らしがスタート。


梅雨明けしたばかりの沖縄は

驚くほど暑くて

でも海は、泣けるほど美しくて。


よく息子とふたり、

夕暮れのビーチに海を眺めに行きました。

(たそがれてたなー笑)


そして、信頼のおける

助産師さんとの出会いから

決心したのです。


沖縄で出産する!と。


出産と奇跡


沖縄へ行くと決めた時もそうでしたが

大切なことは

いつも自分ひとりで決めてしまう私。


夫には、いつも事後報告でした。笑


「沖縄で出産する」という妻の決心を

残念そうに聞いていましたが

私の精神的な安定が何より大事だと

何百歩もゆずってくれて

沖縄での出産が叶うことになりました。


そんななかで

とても理解があったのが夫の両親。


嫁の勝手な決断を

一度も否定することなく、

「大変よね」と見守ってくれました。


そうして沖縄で出産した次男は

あれだけ心配したにもかかわらず、

元気にうまれてくれて。


そこから6ヶ月は

4歳になった長男と

生まれたての次男と

マンスリーマンションで3人暮らし。


1ヶ月だけと言っていた沖縄暮らしは

出産まで延長され、

その後もかたくなな私の意志で

続くことになり、笑

そして奇跡が起こったのです。


夫の沖縄転勤!!!

(転勤族でよかった!)


2012年3月、

再び家族4人での暮らしがはじまりました。


それでも不安だった日々


新たに始まった家族そろっての

沖縄ライフでしたが苦難の連続。


夫に対しては

妊娠していた時に

わかってもらえなかった恨みが

どーーーんとあってケンカばかり。笑


許したくなかったんですよね。

(女の恨みはコワイ!)


9年たって

今なら笑って言えることも

あの頃は絶対に許せない!

そんな勢いでした。


なにより、沖縄にいてなお、

「未来が不安でたまらない」という

不安の苦しみにどっぷりつかっていました。


今考えると

周りには同じ不安を抱えた方ばかり。


未来へのどうしようもない不安や焦りで

つながっていたように思います。


でもね、実は

苦しい、苦しいと言いながら

無意識レベルでは

周りとつながりを持てていたことに

とても安心していた私がいたのでした。


\不安を共有してつながっていた/


沖縄に移住することで

仕事、人脈、友人とのつながりを

ほぼリセットしてしまったと

自分への残念感とともに生きていた私は

沖縄で出会った人たちとの

つながりこそが命綱。


不安は私にとって

なくてはならない

人とつながる命綱になっていたのです。

(夫との心も離れてましたしね)


不安に出口はない


そうはいっても

当時は不安で周りとつながっていたなんて

気づきもしなかったわけで。


ただね、不安だ不安だと言って

3年がたったころ、

さすがに疲れ果ててしまったんですよね。


どこかでこの不安の苦しみから

抜け出したいのに

つながりが切れてしまうようで抜け出せない。


みんなと一緒じゃないと

友達がいなくなる・・・かもと

当時は全く気づいていなかった

永久に続きそうなぐるぐるループ。

(女子高生か!という心理状態)


そんななかで、ある日気づいたわけです。


「不安に出口はない」ということに。


私自身が不安の世界から

抜け出さないように

していたことに。


理由があって(人とつながるために)

不安を大きくしているのは

自分自身なんだと気づいたのでした。


もうね、衝撃すぎて倒れそうでした。


自分で自分を不安の中にとどめておいて

抜け出さないようにしていたんだって。


そこからは

周りと同じように不安になるのではなく、

私自身の快適さを求めて

周りに同調するところと

自分を自由にしていくところを

少しずつ線引きしていきました。


不安の海にどっぷりおぼれて

光の見えない海底で

深海魚のようにひっそり生きていたあの頃。


ずっと暗闇のなかにいると

忘れてしまうのですが

その場所が居心地がいいなぁと

光の見えない場所で

生きることを選んでいたのは

私自身だったのです。


自らのぞんで不安になっていたと

知った瞬間でした。


そして

幸せを見せてはいけないと思っていた。

夫を巻き込んで

沖縄にも移住してしまったし、

大変な自分を見せないとって。


けれど

人ってやりきると何か気づくものですね。


私は3年ほど

どっぷり不安につかり、

へとへとになって

自分に白旗をあげました。


もう疲れた。

もう全力で不安になるのはやめようって。


そこから少しずつ自分に自由を許し、

未来に希望を持つ人たちと

つながりを持てるようになっていったのです。


今思うと、ものすごく貴重な体験で

不安をやりきった自分にも

ブラボーですけれど。笑


長く光の見えなかったトンネルから

ようやく抜け出し、落ち着いた頃。


母がうつになったかもしれないと

実家の弟から連絡がありました。


それはさらに自分と向き合うきっかけとなり、

心理を学ぶことに

つながっていったのでした。


つづく

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