ミステリー・イン・ジュエリー | 指輪に描かれた女性は誰?
イングランド黄金時代の立役者、エリザベス1世。
このエリマキトカゲのような襟を着けた肖像画の方、と言えばピンとくるでしょうか。えりザベスだけに。
しかし女王エリザベス1世の自慢は、襟ではなく細く長い指でした。
彼女は生涯この美しい指を誇りとし、肖像画の中でもそれらをよく見せるよう描かせていたと言われています。
今回は、そんな自慢の指にはめられていたかもしれない指輪から、エリザベス1世の激動の人生などを紐解いていきます。
今なお謎とされているミステリーも?
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まずは、その外観を見てみましょう。
ベースに使われているのは、マザーオブパール(白蝶貝)。
指輪の素材としては珍しいそうですが、これはパールが処女性、純潔の象徴であり、生涯独身を貫いた「ヴァージン・クイーン」エリザベス1世のイメージになぞらえたからではないかと考えられています。
指輪をぐるりと囲むように施された装飾は、ルビーが埋め込まれた金。
ルビーは富と権力をもたらし、財産や名誉を守り平和な生涯を送ることができるとされたことから、王や権力者たちが好んでつけた石だそうです。
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トップ部分は、右端にパールが埋め込まれ、ホワイトダイヤモンドをタイル状に並べて書かれた「E」の文字が見えます。
分かりづらいのですが、その下に見えるのは青いエナメルで書かれた「R」の文字。
「E」はもちろんエリザベスのE。
「R」は何かと言うと、ラテン語やイタリア語で女王を意味するレジーナReginaのR。
つまりERでエリザベス女王という意味になります。
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次に、リングをひっくり返して裏側を見てみましょう。
ちょうど指の背と接触する部分に、王冠とフェニックスが描かれています。
フェニックスは、500年に1度炎に焼かれて生まれ変わるという言い伝えがあるそうです。
そこから復活、忍耐、永遠の命の象徴とされるのだとか。
エリザベス1世は父ヘンリー8世の2番目の妻の子として生まれますが、男子が欲しかった父に庶子と認定され不遇の少女時代を送りました。
しかしそこから女王の座についたという点が、フェニックスの復活劇と重なります。
そのため、この指輪に限らずフェニックスはエリザベス1世の肖像画に好んで用いられるモチーフでした。
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ではいよいよ、この指輪に潜むミステリーを探っていく事にしましょう。
ERの文字が装飾された部分はパカッと開くようになっていて、中には2人の女性の肖像画が描かれています。
(↓▶️マークを押してみてください)
下の方、ルビーがはまった横顔の女性は、エリザベス1世と言われています。
1560年ごろ鋳造されたこちらのコインと酷似しています。
問題はもう1人の黒い帽子をかぶった女性。
このモデルが誰なのか、諸説ありいまだにはっきりした答えは出ていません。
ここでは、主に言われている2つの説をご紹介します。
①キャサリン・パー
ヘンリー8世の6番目(!)の妻。
2番目の妻の子であるエリザベス1世から見れば、継母にあたります。
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彼女は、非常に人間のできた女性でした。
先述の通り、キャサリン・パーがヘンリー8世と結婚した当時、エリザベス1世は庶子の身分に落とされていました。
しかしキャサリン・パーは妻としてヘンリー8世に働きかけ、エリザベス1世を「王女」として復権させます。
更に持ち前の豊かな知識をもって、エリザベス1世に王族として相応しい教養を身に付けさせました。
エリザベス1世はキャサリン・パーの元でその才能を開花させます。
3歳の時に母親を処刑で失ったエリザベス1世は、キャサリン・パーを本当の親のように慕っていたのでした。
◇
こういった経緯から、エリザベス1世の持ち物にキャサリン・パーの肖像が描かれていても不思議ではありません。
しかも指輪の裏面に施されたフェニックスは、キャサリン・パーの夫(ヘンリー8世の死後に結婚)の家系・シーモア家のシンボルでもありました。
その為、指輪はシーモア家からの贈り物であると考える人もいるようです。
ただし、フェニックスは先述の通り、元々エリザベス1世のシンボル的な扱いでした。
なのでシーモア家と結びつける必要はない、という考えもあります。
ではもし肖像画のモデルがキャサリン・パーでないとしたら、一体誰なのか?
もう一つの有力な説をご紹介します。
②アン・ブーリン説
ヘンリー8世2番目の妻にして、エリザベス1世の実母。
元々は王妃の侍女だった所をヘンリー8世に見初められ、自分が王妃の座にのし上がりました。
しかしヘンリー8世との間に生まれたのが女の子(エリザベス)であった事、またヘンリー8世が別の女性に心変わりした事から、ついに反逆罪をでっち上げられ斬首されてしまいました。
まだエリザベスが3歳にもならない頃の事でした。
フランス帽子の変遷
では何故彼女がリングに描かれた肖像画のモデルだとする説があるのでしょうか?
決めてはここ。
帽子です。
(英語では French hoodと言い、直訳すると「フランス頭巾」と言った所なのでしょうが、ここでは分かりやすく帽子と表現します。)
肖像画の女性がかぶっている帽子をよーーく見て頂き、側面の垂れ飾り(英語でラペットlappetと言います)の長さに注目してください。
実はこの帽子、時代によって少しずつこのラペットの長さが異なるという特徴があるんです。
先ほど話に出たキャサリン・パーと、アン・ブーリンの肖像画で確認してみましょう。
キャサリン・パー
(ヘンリー8世6番目の妻)↓
ラペットの長さは頬骨の辺りまでなのが分かります。
一方
アン・ブーリン
(ヘンリー8世2番目の妻)↓
ラペットの長さは頬骨の下、リップライン辺りまでありますね。
指輪に描かれた肖像画も、ラペットの長さは頬骨よりも下にあるように見えます。
この事から、モデルはアン・ブーリンではないかと言われているわけですね。
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この「ラペットの長さからアン・ブーリンと推測する説」はなかなか説得力がある気がしますが、肖像画のモデルがアン・ブーリンだとすると、これまでエリザベス1世について広く伝えられてきた話と矛盾してくるんです。
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実はこれまで、エリザベス1世は生涯を通じて母アン・ブーリンについて言及することはほぼ無かったと考えられていました。
アン・ブーリンは元々ヘンリー8世の最初のお妃の侍女だったのが彼の愛人→王妃とのし上がった女性。
要するに高貴な生まれではなかったので、最初のお妃の娘や一部の臣下、イギリス国民からは「売春婦」などと言われ評判が悪かったのですね。
◇
このことを踏まえると、生涯イメージ戦略を大事にしたエリザベス1世が母の話題に触れることはなかった、という説はまぁ納得がいきます。
しかし、実はエリザベス1世は母の影響を強く受け、彼女の名誉回復のために働きかけていたことが残された記録から分かってきたようです。
長くなってきたので、下に簡単にまとめておきます↓
エリザベスが11〜12歳の時、ヘンリー8世家族の肖像画が描かれることになった。その際彼女は母アンが持っていたイニシャル「A」のペンダントを身につけた
女王に即位した際、記念パレードの中でアン・ブーリンに扮した演者を登場させた
アン・ブーリンの紋章があしらわれたカップや彼女の名前が書かれた書物、その他母の形見を生涯持ち続けていた
など
◇
エリザベス1世を扱った映画やドラマは数多くありますが、今後母娘関係についての描き方が改められた作品が出てくるかもしれませんね。
長い話にお付き合い下さり、ありがとうございました!
⚫︎おまけ⚫︎
リングを持っている写真。
思いの外小さい!
(ちなみにこの指は女性のものです)
参考
・BRITISH LIBRARY
《 Portraits of Elizabeth I 》
13 January 2022
・Sandra Byrd
《 Elizabeth I's Beloved Locket Ring 》
・THE Tudor TRAVEL GUIDE
《 The Chequers’ Ring & The Mysterious Riddle of the Woman in the Portrait 》
・Kyocera Jewelry Online Store
《 ルビーに込められた意味とは 》
・Wikipedia
《 Chequers Ring 》
・ROYAL MUSEUMS GREENWICH
《 Symbolism in portraits of Queen Elizabeth I》
・HISTORY EXTRA
《 Elizabeth I and Anne Boleyn: the Tudor queen’s undying love for her mother 》
by Tracy Borman, Published: June 13, 2023 at 1:26 PM
・On the Tudor Trail
《 Anne Boleyn and Elizabeth I’s Coronation 》
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