《2/4》スキャンダラスな北欧プリンセス - テューラ・ア・ダンマーク【極秘の出産】
宮廷に仕える士官との子供を身籠ったデンマーク王女テューラ。
もちろん世間に知られるわけにはいきません。
そこで家族は、テューラをギリシャへ送ることに決めました。
ギリシャは、テューラの次兄がゲオルギオス1世として国王に即位していたのです。
テューラの話に戻ります。
まだ航空技術が未発達だった当時、デンマークからギリシャまで身重の状態での旅は相当ハードだったと推測されます。
案の定体調を崩し、デンマークから父王や弟が駆けつけ てんやわんや(想像)の中、クリスマスの時期に女の子を出産しました。
18歳の時のことでした。
生まれた子は すぐさまデンマーク人夫妻の元へ養女に出され、宮廷にこの子の記録は残っていないそうです。
ちなみに公式には
「テューラ王女は、ギリシャの兄の元へ旅行中黄疸にかかり療養中である」
と発表されました。
◇
ところで、王女を孕ませた士官はどうなったのでしょうか。
実は赤ちゃん誕生直後の1872年1月、首吊り自殺したそうです。
自殺直前 テューラ父に謁見していたと言われています。そこで2人は口論になったという話もありますが、詳しい内容は分かっていません。
◇
テューラは産後の体調も落ち着きローマに滞在していましたが、そこで恋人の訃報を受け取りました。
ショックのせいか分かりませんが、その後腸チフスで倒れてしまいます。
母の必死の看病や、イギリスの名医に診てもらうことができたのもあり(テューラ姉は当時のイギリス王太子妃)、何とかデンマークに帰国できるほどに回復したのでした。
続きます。
【補足】出産場所の謎
当記事では テューラは兄のいるギリシャで出産したとしましたが、実はテューラ父がかつて住んでいたグリュックスブルク城で産んだという説もあります。
当時ここは デンマークが戦争で負けたためプロイセン領となっていましたが、城自体はテューラが出産した年 父の親族に返還されていました。
場所は現在のデンマークとドイツの国境付近。
身重の身体でもそこまで移動の負担はなさそうですし、父と弟もすぐ駆けつけられる距離です。
ただそうなると、出産後テューラがローマにいたという話と合わなくなってきます。
ギリシャ、ローマいずれの滞在も嘘という可能性もありますが、今回は、参考欄に載せた王室ドキュメンタリー番組の内容に沿って書きました。
参考
トップ画像: Grand Ladies
for educational and information use
・Wikipedia
《 Georg 1. af Grækenland 》
《 Thyra von Dänemark (Prinzessin, 1853) 》
・Unofficial Royalty
《 Thyra of Denmark, Crown princess of Hanover 》
・Youtube
《 Royal Family, Episode 6: Uncrowned Marriages (Documentary) 》
・Schloss Glücksburg
《 Historical overview 》
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