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人物史 season1まとめ| これまで書いた6人の関係を深掘りしてみた
カバー画像は、これまで当noteの人物史で取り上げてきた6人です。
誰が誰だか、分かりますか?
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答えはこちら。
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⚫︎イギリス王妃アレクサンドラ
⚫︎元イギリス国王の妻ウォリス
⚫︎デンマーク王女マルガレータ
⚫︎ドイツ皇太子妃ツェツィーリエ
⚫︎ベルギー王妃エリザベート
⚫︎ロシア皇后マリヤ
※名前をクリックすると記事に飛びます
称号がみんなバラバラですが、似たような時期に生まれ、家系図を遠ーーーーくから見ると実は繋がりがあったりします。
今回は、そんな6人を色々な切り口から見ていきます。
(長いです、目次をご活用ください)
◆年表を縦に並べてみた
「パラレル年表」というアプリで6人の生きた時代を比べると、こんな感じ。
(小さくてすみません)
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◆世代を分けてみた
当時の王室女性は20歳前後で結婚・出産している人が多いことを踏まえて、あえて世代を分けるならこんな感じ。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/66429257/picture_pc_95ce059eba312e55993cf7e631bbedce.png?width=1200)
スマホみたいになってしまいました。
第1世代・1840年組から見ると、第3世代・1890年組は孫くらいのイメージですかね。
◆同年代の日本人を探してみた
日本の歴史上の人物から同年代の人を探してみると、こんな感じ。※( )内は生年
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![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/66436491/picture_pc_506607b73dec1e9e9e2dfe5f8000eb51.png?width=1200)
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![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/66436489/picture_pc_297df2bb9b31f75ab8b240196b3fb560.png?width=1200)
◆家系図を見てみよう
実はこの6人、家系図を見るとこんな感じで繋がっています。
\ じゃん!/
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…小さくて訳が分かりません。
もう少し拡大して見てみましょう。
いちばん分かりやすい所から。
㇄アレクサンドラ & マリヤ
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/66462027/picture_pc_322f0f024ebf4d79e3a7bcd791fed719.png?width=1200)
イギリス王妃アレクサンドラと
ロシア皇后マリヤ・フョードロヴナは姉妹です。
マリヤは結婚してロシア正教に改宗後の名前なので、ここでは結婚前の名前、ダウマーも併記しています。
次。
㇄アレクサンドラ & ウォリス
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/66462877/picture_pc_ca9c824d79c004833ce642104ebed220.png?width=1200)
ウォリスの夫は、元イギリス国王エドワード8世。
イギリス王妃アレクサンドラの孫にあたります。
平たく言えば、
アレクサンドラ→ウォリス 孫の嫁
ウォリス→アレクサンドラ 義理の祖母
と言った所でしょうか。
次。
㇄アレクサンドラ、マリヤ & マルガレータ
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マルガレータは、アレクサンドラとマリヤの弟ヴァルデマーの息子の妻です。
アレクサンドラ、マリヤ→マルガレータ 甥の嫁
マルガレータ
→アレクサンドラ、マリヤ 夫の伯母
今度はドイツへ。
アプリの画面で見ていきましょう。
㇄ツェツィーリエとイギリス王室
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ツェツィーリエの夫はドイツの人ですが、彼の祖母はヴィクトリア女王の長女、つまりイギリス出身なのですね。
ここでは
アレクサンドラ→ツェツィーリエ 義理姉の孫
ツェツィーリエ→アレクサンドラ 大叔父の妻
となります。
ついでに、ツェツィーリエとウォリスはいずれも夫のひいおばあさんがヴィクトリア女王ですね。
次に、ツェツィーリエとマリヤの繋がり。
㇄ツェツィーリエとマリヤ
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ツェツィーリエは、母がロシア・ロマノフ朝の出身です。
ひいおじいさんがロシア皇帝ニコライ1世。
そしてニコライ1世は、マリヤの夫・アレクサンドル3世の祖父にあたります。
マリヤ→ツェツィーリエ 夫のいとこ違い
ツェツィーリエ→マリヤ いとこ違いの妻
またツェツィーリエは、ロシア皇后としてのマリヤの事をこう評していたそうです。
「その身なり、際立って力強い性格、顔に輝く知性は、女王の完璧な姿を作っていた...。彼女はロシアで非常に愛されており、誰もが彼女に信頼を寄せていた......そして(中略)国民にとって真の母親であった」
-Wikipedia より
次。
㇄エリザベートと北欧王室
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ベルギー王妃エリザベートと、北欧王家の繋がりを示そうとして欲張りすぎました。
拡大してみましょう。
エリザベートは、長男の妻がスウェーデン王室出身です。
で、その妻のお姉さんがマルガレータ。
↓
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この姉妹のおじいさんが、デンマーク国王フレゼリク8世。
この人はアレクサンドラとマリヤの兄です。
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家系図が何かアンバランスなのは、アレクサンドラとマリヤの家が6人きょうだいで、1番上と下で15歳差とかなりの年齢差がある為です。
(こちらの図ではきょうだいを一部省略しています)
エリザベートとマルガレータ、アレクサンドラ、マリヤとの関係を端的に言うならば
エリザベート→マルガレータ 息子の嫁
エリザベート
→アレクサンドラ、マリヤ 息子の嫁の大叔母
となります。
◆第一次世界大戦―その時彼女は
この6人が共通して経験したのが、第一次世界大戦(1914〜1918年)でした。
それぞれどう過ごしていたのかを見てみます。
※1 称号は1914年当時のもの
※2 ( )内は大戦開始時の満年齢
※3 写真は大戦開始〜終戦ぐらいのもの
1. イギリス王太后アレクサンドラ(70歳)
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息子がイギリス国王として即位していました。
彼女の妹が皇太后として暮らしていたロシアで革命が起こり、アレクサンドラは息子に 自分の妹やその家族の救出を打診します。
しかし息子は「イギリスまでロシアの革命に巻き込まれては敵わん」とこれを拒否。
結局妹の長男家族(ロシア皇帝一家)は革命派に殺されてしまいました。
のちに妹を救い出す事には成功するのですが、アレクサンドラは長男一家を失った妹に声をかけられなかったそうです。
2. ウォリス・シンプソン(18歳)
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アメリカの海軍パイロットであるウィンフィールド・スペンサー・ジュニア(写真左)と結婚した事が分かっています。
3. スウェーデン王女マルガレータ(15歳)
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スウェーデン赤十字社で縫製の仕事をしていました。
初めこの写真を見た時は「王女がミシンなんて、やらせかな?」と思ったのですが、どうやら彼女の妹も縫い物が得意だったそうで…
案外ガチかもしれません。
4. ドイツ皇太子妃ツェツィーリエ(28歳)
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ドイツ革命により帝政が崩壊して、皇太子妃の地位を失いました。
自身はドイツに残りましたが、皇帝であった夫は身の危険を感じて亡命。
5年間別居生活をする事になりました。
またツェツィーリエは帽子のコレクションに熱中していたそうですが、大戦中に撮影されたというこちらの写真ではシンプルな帽子をかぶっているのが印象的です。
5. ベルギー王妃エリザベート(38歳)
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王宮を改装して病院を作り、負傷兵の救護に貢献しました。
また父親が医者であった彼女も 現場で治療にあたり、「クイーン・ナース」と呼ばれました。
6. ロシア皇太后マリヤ(67歳)
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ロシアは戦争によって、元々困窮していた国民の生活苦に拍車がかかります。
かつては国民から人気だったマリヤも、以前ほど自分が支持されていない事を悟っていました。
さらに国内で革命が起こり、長男およびその家族が殺されてしまいます。
彼女自身は姉(1のイギリス王太后アレクサンドラ)がいるイギリスに逃れましたが、姉はイギリス国民から依然として人気。
そんな姉の元に居るのは苦しかったのか、最後には故郷のデンマークへと帰り、そこで生涯を終えました。
かつては毎年パリでお揃いの服を作って過ごしていた仲良し姉妹でしたが、晩年は寂しい関係となりました。
◆おわりに
これまで19世紀半ば〜終わりにかけて生まれた6人の女性の生涯を取り上げてきました。
ここでひと区切りして、次回からはもう少し遡った時代の記事を書こうと思います。
ただ19世紀は技術や文化の発展が目覚ましく、まだ書けていないネタもあるので、今後もちょいちょい挟んでいきたいです。
引き続き楽しく書いていきたいと思うので、どうぞ宜しくお願い致します。
参考画像:
Grand Ladies
Wikimedia Commons
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