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それでもフェリックス・ヘルナンデスはシアトルで"キング"であり続ける

2019年9月26日のオークランド・アスレチックス戦、フェリックス・ヘルナンデスがシアトル・マリナーズのメンバーとして迎えるおそらく最後の先発登板は6回途中3失点で終わった。

1勝8敗、防御率6.40。"キング・フェリックス"の愛称でかつてマリナーズのエースとして君臨してきた投手は、全盛期を考えればあまりに寂しい成績で2019年シーズンに幕を閉じた。

ヘルナンデスは2012年のオフにマリナーズと結んだ7年契約が今年で満了する。再契約という選択肢もあるが、来季開幕直後に34歳の誕生日を迎えるヘルナンデスと、2021年のプレーオフ進出に向け、チームの再建を打ち出しているマリナーズの将来構想は明らかにマッチしない。

上記の事情を鑑みれば、2020年のマリナーズのロースターにまず間違いなくフェリックス・ヘルナンデスの名前はない。それは彼のまさに"キング"と形容するに相応しい全盛期を見てきた全てのマリナーズファンにとって、あまりにも非情で受け入れがたい現実である。

"キング・フェリックス"はもう"キング"でいられないのだろうか。

"キング・フェリックス"の始まり

ヘルナンデスのプロとしてのキャリアは16歳の時に始まった。14歳の頃に母国ベネズエラのトーナメントで投げている姿をマリナーズのスカウトが目撃してから、以降契約が解禁される16歳になるまで1年以上に渡ってマリナーズはヘルナンデスとの関係構築に努めた。

マリナーズ以外にもニューヨーク・ヤンキースやアトランタ・ブレーブスといった球団もヘルナンデスに興味を持っており、マリナーズが提示した以上の金額をオファーしたとされる。しかし、マリナーズスカウト陣との関係が良好であったこと、また同じベネズエラ出身で、ヘルナンデスが憧れるフレディ・ガルシアがマリナーズに当時在籍していたことも手伝って、ヘルナンデスはヤンキースやブレーブスからの誘いを蹴ってマリナーズとの契約を決める。

ヘルナンデスがMLBの舞台に到達するのはそれから3年後のことだった。2005年シーズンのマリナーズは早々にプレーオフ争いから脱落していたこともあり、来季以降の戦いも見据えてマイナーで好投を続けていたヘルナンデスを8月に昇格させ、MLBデビューを果たす。19歳118日でのMLBデビューは、投手としては1984年のホセ・リーホ(18歳328日)以来の若さでのデビューとなった。

当時バスケ界ではレブロン・ジェームスが衝撃のデビューを飾り、"キング・ジェームス"の愛称が付けられていた。バスケ界のスーパースター候補が"キング・ジェームス"であるなら、野球界のスーパースター候補であるフェリックス・ヘルナンデスが"キング・フェリックス"ともてはやされるのはごく自然な流れだった。弱冠19歳とは思えないほどにふてぶてしく、そして堂々としたマウンド捌きや、100マイル近い豪速球で彼よりもずっと年上の打者たちを圧倒する様も相まって、"キング・フェリックス"という愛称はすんなりと浸透していった。

それが、"キング・フェリックス"の始まりだった。

MLBを代表する右腕への成長

デビューから数年間はその有り余る才能を生かしきれず(それでもこの年齢で先発ローテーションを守ってはいたが)、ファンをやきもきさせたが、2009年に19勝5敗、防御率2.49、217奪三振、rWAR5.9と全ての面においてキャリアハイの成績を残し、ついにその才能が花を開く。サイ・ヤング賞こそザック・グレインキー(当時カンザスシティ・ロイヤルズ)に譲ったが、投票では2位に入り、名実ともにエースの階段を登る1年を送った。

翌年もヘルナンデスの勢いは止まらず、34先発で30QS(クオリティスタート)を達成する抜群の安定感を発揮。特に後半戦は15先発で防御率1.53と先発投手としては驚異的な成績を残し、最終的にシーズン通算では防御率2.27とキャリアハイの前年を軽々と超える数値を叩き出した。2010年のマリナーズはMLBでも屈指の貧打線で、打線の援護に恵まれず勝ち星こそ13勝に終わったが、その圧倒的な投球内容が認められ、前年惜しくも逃した念願のサイ・ヤング賞を受賞。マリナーズの投手としては1995年のランディ・ジョンソン以来の受賞であり、ジョンソン以来の本格派エースの誕生に、チーム成績のことなど忘れてマリナーズファンは涙したのである(余談だが、マリナーズはこの年101敗を喫した)。

サイ・ヤング賞受賞後もチームのエースとして大車輪の活躍を見せ、毎年のように200イニング、二桁勝利を達成するなどエースとは何たるかをプレーで証明してみせた。2012年8月15日のタンパベイ・レイズ戦ではチーム史上初となる完全試合を達成。最後に見逃し三振を奪ったシーンでは、"キング・フェリックス"が文字通り王に登り詰めた瞬間のようにも見えた。彼は"キング"と呼ばれるだけに相応しい投手になった。

貫いたシアトルへの愛

ただ、ヘルナンデスがサイ・ヤング賞を受賞したあたりからトレードの噂が絶えなくなる。サイ・ヤング賞の栄誉に輝き、MLBでも屈指の右腕へと成長したヘルナンデスとは裏腹に、チームは低迷が長期化しており、再建が急務となっていた。当然、チームで最もトレードバリューのある選手の動向には球界中が注目を集めた。

これまでもマリナーズではエースがトレードされることはあった。1998年のシーズン中にはランディ・ジョンソンを、2004年のシーズン中にはフレディ・ガルシアをトレードした過去があるため、チームが低迷すればエースのトレードは当然選択肢に入ってくる。特にヤンキースやボストン・レッドソックスといった東海岸のチームが熱心にヘルナンデス獲得に力を注いでいたこともあり、ヘルナンデスがこれまでのエースたちと同じ道を辿ることを多くのファンは覚悟したことだろう。

しかし、マリナーズはヘルナンデスのトレードだけには応じず、彼を中心としたチームで再建を目指す道筋を選択した。実力面、そして精神的支柱としても「エース」という言葉が相応しいヘルナンデスの代わりが務まる選手はいない、そういった判断だろうか。

ファンもチームの看板選手であるヘルナンデスを全力で支えた。2011年5月28日の試合からはヘルナンデスの先発試合限定で彼の応援席キングスコート(King's Court)が本拠地セーフコ・フィールド(現Tモバイルパーク)に設けられた。キングスコート専用の黄色いTシャツを身に纏ったファンたちが、ヘルナンデスが打者を追い込むたびに「K」と書かれたプラカードを掲げながら「K! K! K!」と連呼し、彼を後押しした。

日本のような私設応援団がないMLBにおいて、特定の選手の応援席が設けられることは極めて異例なことである。それだけフェリックス・ヘルナンデスという投手がチーム、そしてファンにとって重要な存在であるかがわかるだろう。

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(Photo by Chase N.)

そんなチーム、ファンに対してヘルナンデスも応えてくれた。2012年オフ、ヘルナンデスはマリナーズと7年1億7500万ドルで契約を延長し、2019年までマリナーズのユニフォームに袖を通すことが決まる。交渉の席では、ヘルナンデス自身非常にシアトルに愛着があること、マリナーズでプレーし続けたいことを強調したようだ。

"I always say that this is home," Hernandez said. "This is my life."

これ以上に嬉しい発言は他にない。シアトルという立地、そしてチームの弱さはこれまでマリナーズというチームが多くの選手に敬遠される原因となってきた。FA選手に悉く嫌われ、スターたちがこぞってシアトルから出ていく様を見続けてきたシアトルの野球ファンたちは、ヘルナンデスが見せたこのシアトルに対する並々ならぬ愛で全てが報われたような気がした。

彼はマリナーズ、そしてシアトルへの愛を貫き、この地で"キング・フェリックス"であり続けることを選んでくれた。

球速低下、怪我、"キング"の凋落

だが、"キング・フェリックス"もいつまでも真の意味で"キング"ではいられなかった。

2015年ごろからヘルナンデスの球速低下が深刻化し始めた。サイ・ヤング賞を受賞したころは平均95マイル近い水準だった速球は、年々スピードが落ち、近年は90マイルを出すのがやっとという水準にまで落ち込んだ。

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原因は様々考えられるが、間違いなく要因として挙げられるのは勤続疲労だろう。ヘルナンデスは20歳からMLBの先発ローテーションをフルシーズン守り、2006年から2015年までの11年間で最低でも190イニング以上を毎年投げ続けた。投手の故障が叫ばれる現代の野球において、これほどのイニングを投げながらもこれまで何の支障もなく投げ続けられたことがむしろ奇跡に近い。それだけの負担をヘルナンデスは担ってきた。

球速が落ちれば、それだけ打者にとっては攻略がしやすくなる。球速の低下に伴い、投球成績が悪化の一途を辿ったことは想像に難くないだろう。

また、頑丈さがウリだった身体も様々な怪我が蝕んだ。故障者リストも何度も往復するようになった。肩、腕、足・・・満身創痍の彼に、今思えばかつての"キング・フェリックス"らしいピッチングはもはや不可能に近かったのかもしれない。

それでもマリナーズファンは"キング・フェリックス"の復活を疑わなかった。ヘルナンデスと同じように一時期球速が低下し、そこから見事な復活を遂げたジャスティン・バーランダー(ヒューストン・アストロズ)の姿を見て、ヘルナンデスに重ねた。きっとヘルナンデスも"キング・フェリックス"らしさを取り戻す日がまたやってくる。そんな日が来ることを信じた。

ヘルナンデス自身ももがき続けた。カーブを投球のメインに据えてみたり、投球フォームに修正を加えてみたりと今持てる力を集結させて戦う術を模索した。彼は出来ることは全て挑戦していたようにも思える。こういった試行錯誤が時に実を結んで、かつての"キング・フェリックス"を彷彿とさせるような圧巻のピッチングをする日もあった。

だが、そういった日は長続きしなかった。とうとうヘルナンデスがかつての"キング・フェリックス"らしさを取り戻す日はやってこなかった。

それでも彼は"キング・フェリックス"であり続ける

近年の成績不振や度重なる怪我もあり、ヘルナンデスが来季もMLBの舞台に残り続けられるかどうかは怪しいと言わざるを得ない。もはや今の彼を見て真の意味で"キング・フェリックス"と呼べる人はいないだろう。

確かにそれはそうかもしれない。だが、マリナーズファンは違う。

マリナーズファンにとっての"キング・フェリックス"は、5日に1回今日はどんなピッチングを披露してくれるのだろうというワクワクを与えてくれ、時にエイドリアン・ベルトレと戯れるお茶目な一面を見せながらも、今時珍しいくらい感情を全面に出した気迫のこもったピッチングで打者を圧倒し、そして何よりシアトルへの愛を貫いてくれた唯一無二のエースであり、"キング"だ。そんな彼のピッチングに全てのマリナーズファンは虜になった。

今の彼の投球から"キング"らしさは失われているかもしれない。それでもフェリックス・ヘルナンデスはシアトルが生んだ最高の投手と胸を張れるし、これからも我々にとって彼は真の意味で"キング"なのだ。

だからシアトルではこれまでも、そしてこれからも彼は"キング・フェリックス"であり続ける。

Photo by hj_west

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