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アントワネットは新幹線に乗って

霊感なんぞ1ミリも持ち合わせていないが、どうも広島という地には何かあるような気がする。
海の上に堂々と建つ厳島神社の鳥居や、ひっそり佇む原爆ドームが頭にあるからだろうか。

広島には10年以上前、中学校の修学旅行で行ったっきりだ。
当時は内心、修学旅行に行くぐらいなら家で幽☆遊☆白書のアニメを見ていたかった。
荒んでいる田舎の中学校はたくさんのはしゃぐヤンキーたちとそれを何とか抑制しようと苦労する先生たちがメインだった。そんな中に2泊3日も拘束されるなんて楽しいわけがない。

押し込まれた新幹線の車内に座る私の心は、嫁入りで故郷を去らなければならないマリーアントワネットのようだった。着ているのはスカートのポケットが破れているお下がりの制服ではなく長く煌びやかなドレス。窓の外は去りゆくオーストリアの田園風景。少し優雅な気分になったのはほんの束の間。初日の昼食で配布されたのはプラ容器のタッパーに詰められた広島焼きだった。食事できる場所がなかったとかで配布形式になったそうだ。初っ端からフランス王宮の昼食とは程遠いものとなった。

そんなアントワネットもどきの青春の1ページで忘れられないものが二つある。
世界遺産の原爆ドームと厳島神社だ。
平和祈念資料館では展示してある物に見入り、記されている言葉をじっくり、時を忘れて見て回った。バスに戻ると資料館は見て回らなかったのが分かるほど騒いでいるクラスメイトがたくさんいたが、いつもはうるさく感じられることがどうでもよくなるほどの衝撃だった。
今夜は眠れないかもしれない。。。と心配したのは束の間、その夜はのび太君に乗り移られたのか疑わしい程の速さで眠りについてしまった。仕方がない。中学生に繊細さを求めるのはのび太に宿題をやるよう課するようなものだ。


翌日は厳島神社への観光だった。海を鏡のようにして映る厳島神社の鳥居はさぞかし美しいだろうと期待したが、足元は海水でなく砂。勉強不足だった中学生の私は、厳島神社の鳥居は常に海に浸かっていると思っていたが、干潮の時間帯は歩いて鳥居まで行ける程になる。干潮の時間も貴重な訳だが、唯一の期待はすりごまのようにゴリゴリと細かく打ち砕かれてガックリして終わった。

ご利益もなく期待外ればかりの旅行であったが、修学旅行で無理矢理連れてこられた中学生には原爆ドームの衝撃や厳島神社の壮大さの端っこを感じただけでも十分だろう。


次、広島に行くならあくせくせずのんびり世界遺産を周りたい。マリーアントワネットならロココ調の優雅な馬車でドラえもんとのび太ならどこでもドアだろうが、私はかわいい外車に乗って周りたい。

ファミリーカーでせわしない生活を送るのが精一杯の今を見ると、それはいつのことになることやら。



企画参加作品です。




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