1___過去を認めてる途中。
はじめまして、と挨拶からしたい。
わたしは35歳のシングルマザー。この春に中学2年になる長女と、1つ下に長男を持つ3人家族。元夫とは2012年辺りに離婚した。その後少しは会っていたが、すぐに音信不通になった。それきりでどうしてるかは知らない。
3人家族
改めてこう文字で起こしてみると、わたしはこの"3人"という家族をどう作り、守って来たのだろうか?守れていたのだろうか?
3人で暮らせるように努力をしていたのか?3人で笑っていられるように母親らしく咲いていたのか?いや、違うと思う。
まずは現在の自分と過去の自分を認める所から始めようと思う。
わたしは、くそな母親だった、と。
よく、虐待されて育った子供は自分の子供にも虐待する、親にされたように子供にしてしまう、と聞く。自分は絶対にそうはならないと漠然と思っていた。
わたしは幼少期、母親から殴られ蹴られ、時にガムテープでぐるぐる巻きにされて立たされたり、布団叩きが折れるほど殴られたりした。お漏らしをした時はパンツを脱がされたまま玄関の外に放り出されたし、おもちゃを片付けなかった時はベランダから体を放り投げられたし、リビングのソファーの位置がぐちゃぐちゃになるほど蹴られ続けて、いつも殴られた顔が熱を持って熱かった。2つ下に弟が居るが、弟はいつも母親に愛されていたように思えた。差別、贔屓、どうしていつも弟だけかわいがるのだろう??どうして自分だけ怒られるのだろう??と思っていた。
一姫二太郎は羨ましがられる。配偶者には恵まれなかったが、わたしは女児にも男児にも恵まれた。本音を言うと、自分が兄を欲しかったから、お兄ちゃんと妹の兄妹が理想だった。でもいざ妊娠したら女の子と聞いて嬉しかったし、2人目が男の子と知って嬉しかった。なんにしろ健康が1番、、健康なら、、と。
長女が生まれ、早産で年子になった長男が生まれた当初、わたしは長女に対する愛情は変わらないと思っていた。むしろ、長女が愛おし過ぎて、これから生まれて来る長男をかわいがれるか不安に思っていたくらいだった。
でもいつからか、いつからか、、わたしは自分の母親のように長女を怒鳴るようになっていた。怒鳴るようになったら頭を引っ叩くようになっていた。あれだけ嫌だったセリフ、お姉ちゃんなんだから!を言うようになっていた。
何より、長男を溺愛した。差別、贔屓、そのものだった。わたしは結局、自分が子供時代に味わった矛盾や悲しさ・寂しさを、長女に与えていたのだった。
長女はわたしには似ていなかった。
幼少期からコミュニケーション能力に長けていて、お友達を作りに行くタイプ。アクティブに外で遊び、運動神経も良い。猿のように蛙のようにぴょんぴょん動き回るような軽快さがあって、自分の居場所を見つけれる活発な子。
小学生時代、わたしはそんな長女の性格に甘んじて、放っておいた。あまり細かく干渉せず、この子なら大丈夫と思っていた。お友達同士のトラブルは無さそうだし、大きな怪我をして帰る事も無い。たくさん食べてたくさん笑って、夜はぐっすり寝ていたから。また朝になったらいつも通り学校へ行き、放課後はお友達と遊び、気になったら新しいお友達を作ったり新しい遊び場を見つけたりするんだろう、、と。
長女はそれでいい、勝手にやってくれてる、と。
長女が小4の頃、わたしは介護職を辞めて看護学校を受験しようと本気で考えていた。勤めていた施設はどっちにしろ辞めたかったので、退職願いを書いて渡した。あぁ、心機一転、これからステップアップだ!頑張るぞ!と意気込んでいた矢先、問題が起きた。
長女がお友達から100円?だったかお金を借りたまま、1ヶ月も返してなかったのだ。
常日頃教えていたのは、お金に限らず貸し借りはしてはいけない、トラブルの素になるからと教えていた。わたしは原因がお金だった事にすごく怒った。恥ずかしかった。なぜ「借りる」という事をしたのか、なぜ「返さない」という事をして1ヶ月平気だったのか。
「どうしてママに言ってお金を返さなかったの?」と聞いたら、「怒られると思ったから」と。どこかで聞いたセリフ、、わたしも母によくそう言った。
「ママに怒られると思ったから」
知ってる。子供が素直に打ち明けれない状況を親が作ってしまってるんだ。そういう環境下に置いてるんじゃないか。子供は怒られたくないに決まってる、特に自分の親には。その自分の親は頭がおかしいのかと思うほど怒鳴るし、しつこいし、叩くし、思いやりの欠片もない怪物になるんだから。
わたしは当初こんな風に叱った。
「怒られて当然の事をしてるんだから、自分が悪い。怒られても仕方がない。」
こんな逃げ場の無いセリフを頭ごなしに押し付けた。今ならわかるのに、今のわたしなら言わないのに、同じわたしでもこいつはただの怪物だと思う。
この件があって、退職願いを出した後でわたしは悩んだ。今、自分が勉強したい学校に行きたいだなんて言ってる場合か?小4て言ったら反抗期もこれからだし、自分に時間とお金を費やすより、もっと子どもの躾に力をいれなくてはならない!と、看護学校への受験は見送る事にした。きっと中学生くらいになったらいろいろ落ち着くだろう、その時に本気でまた受験したかったらすればいい、、そう思っていた。
時を経て現在、冒頭でお伝えした通り長女は春から中学2年生。え、数年前のわたしよ、いろいろ落ち着くだ?いやいや今が1番子供と真剣に向き合い、試行錯誤してるよ。
反省、反省、後悔、後悔、でも前向きに。
(今後も長女中心に書くつもりなので、わざと長男の事は省きます)
なぜ中2になる娘と真剣に向き合い、試行錯誤してるかというと、話は去年の夏に遡ります。
娘はリストカットをしていました。
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