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「ありがとう」と「あたりまえ」

↑私を支えてくれたすべての人に、このケーキを贈りたいです。

紹介がちょっと遅くなりましたが…。

note友達(と言っていいのかしら。いつも心にぐっと来る記事を書いていて、尊敬しています)のいっき82さんのこの投稿を読んで、
「感謝」とは、
「心にありがたく感ずること」という意味で、
「ありがたく」とは、「有り難く」と書き、
「有る」のが「難しい」ことだと初めて知りました。

私も、今こうして生きていることは
「あたりまえ」(この記事では、ひらがな表記にします)ではなく、
「有る」のが「難しい」と、年を取るごとにひしひしと感じるようになりました。

小学生の頃は、「ずっと仲良くしようね」と言い合った友達と、関係が続くのがあたりまえだと思っていたのに。
今は、どこで何をしているのかわからない。
元気でいて欲しいと願うだけです。
働いて、大好きな人と結婚するのも、あたりまえだと思っていたのに、つまずきました。
自分のことをよくわかっていなかったのかも知れません。

そもそも、なぜ「あたりまえ」は生まれたのでしょうか。
スマホを持っているのがあたりまえ。
友達がいるのがあたりまえ。
平和なのがあたりまえ。
エトセトラ、エトセトラ。

「感謝」、つまり「ありがとう」の言葉は、
相手に「こうしてくれて私はうれしかった」と伝えると同時に
自分に「相手がこうしてくれるのは、あたりまえではないのだよ」
と言い聞かせる「呪文」なのではないでしょうか。
ちょっと恐ろしい表現になってしまいましたが。

「ありがとう」のように、軽い気持ちで口にしてはいけない言葉は、たくさんあると思います。
私は、そんな言葉を大切にして、毎日を過ごしていきたいです。
今回、ちょっとお堅い文章になってしまいました。


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