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グレート・パシフィスト

『本日、昭和2,680年度、夏の帝都感謝祭では皇居前広場に多くの人が集まり……』

水を張った豆腐屋ではAMラジオが帝都の催しを区域外の二級市民に伝えていた。大障壁(グレートウォール)のお膝元であり玄関口である三鷹は、古い木造建物が並んでおり、帝都内のような華美さや豪壮さや先進性は無いが、遠い昔から変わらない下町の気風が溢れており気に入っている。

「おまけしとくよ」

店員から豆腐を受け取り、壁見荘2階奥の自宅へと足早に戻る。古びて埃臭く、日当たりの悪い部屋に入り、鞄の中から指令書の入った封筒を取り出す。この時代、下手に通信を使わない方が安全なのだ。今回も『帝都内に潜入し、重要情報を入手せよ』という良くあるもの。俺は豆腐をかっこみながら書類を読み返し、入念に仕事の準備に取り掛かる。窓の外には入道雲と地を遮る大障壁が見えた。

夜。仕事開始の時間だ。

人通りの少ない帝都区内と区域外を仕切る大障壁の通用口の門にはいつも通り、警備員が二人立っている。

「誰だ。止まれ」

「お待ちを。こういうものです」

ゆったりした動作でポケットから名刺ケース型ガス噴霧器を出し、二人の顔に浴びせる。俺が調合した特製の麻薬ガスだ。二人は瞬時にふらつき、虚ろな目になる。明朝の交代時間まで記憶は胡乱になるだろう。俺は落ち着いて奥まで進み、下調べ通りに特定のマンホールから帝都内専用の下水道に降りる。携帯トーチに点火し、目的地の下北沢方面に向かって駆け出す。時間は一瞬たりとも無駄にできない。

俺は通称「パシフィスト」。帝都で唯一、『不殺』を信条としている便利屋だ。殺した方が仕事は楽なのだが、絶対に誰も殺さない。正しいとか正しくないではなく、それが俺の信条だ。そして、俺の仕事を誰にも阻ませはしない。その為なら殺し以外何でもやる。それが俺だ。

それは昭和2,680年。俺のせいで後に「昭和最後の年」と呼ばれる夏の日の夜だった。

【続く】