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ハンバーガーを置いてみた

 はじめに
ここに書いてある記事はあくまでも私個人の感想であり、参考程度でお願いします。
-第一章-
 なぜ世界は存在しないのか
そもそも存在とはなんだろう...
果たして世界は存在するのだろうか?
仮に世界が存在しないと仮定すると、「もうすでにその世界が存在しているのでテーマと矛盾する。」=a
さらに深く考えると、世界が存在しないと言うことは本当に何も存在しないのだろうか?
だとするとaと矛盾する。
矛盾の矛盾は反対だ。
a=無限ループ
だとするとこのテーマの真意とは一体なんだろう?
仮に世界が存在すると仮定すると、うまく説明がいくかもしれない。
世界があってハンバーガーがある。
そのハンバーガーは見方を変えれば元素の塊とも言える。
もう少し見方を変えればハンバーガーはミクロとマクロの狭間にあるとも言える。

fieldを変えるとハンバーガーは自然界から生まれたものと言っても良い。
はじめに平原があってそこに何かしらの形で小麦の種子が誕生する。
もうすでに人間がいたと仮定すると、ここの土を耕して田んぼができ、文明・国家・法律・政治・経済が生まれる。
その後さまざまな革命が起こる。
やがて人々は選挙で政治を選ぶ近代民主主義国家が生まれる。
インターネットの発明により世界は仮想と現実の2つの世界に分けられた、情報社会の誕生である。
そして現代では人間の生ばかりに光を当て死と言うものを切り離して考えるようなハンバーガー生活いわゆる消費主義、現代社会の誕生である。
ハンバーガーに未来はあるのだろうか...

未来のことを考えるよりも、今を生きた方がいいような気がする。
未来なんて誰にも予想できないしわからないからだ。
未来を微分積分で正確に予測できたら凄いことだ!
ここで一つ厄介なポイントがあるそれは「自由意志は錯覚であり、人間の行動は遺伝と環境の両因子の組み合わせによって決定されていくというものだ。」
つまり私たちには心理があると言う点だ、もっと簡単に言うと行動、発言、思考があると言うことだ。
悪用されなければ別の話だが...
世界の真実とは一体なんだろう...
そもそも真実は存在するのだろうか?
そうゆうことを考えている時の自分とは一体なんだろう。
自分は存在するのだろうか?
人は何かを信じないと生きていけませんから、
人生には何かしらの信仰が必要だということがわかる。
この世界が本当にそうゆうふうにできているのなら。
世界は微妙な変化でできているといっても過言ではない。
a=無限ループ
限界は存在するのだろうか?
いや、それとも存在が限界しているのだろうか?
そうゆう問題ではないケースもある。
もし限界があると仮定すると、鍵穴に鍵はとうせても開けられないということになる。
逆にないと仮定すると鍵穴に鍵はとうせても開けられるということになる。
量子computerの世界では0=1のような世界だ。
量子computerに限界があるとすると、例えば人間には紙を破ることはできるが量子computerにはそれが理解できないということだ。
つまりはaiは人類には勝てないということだ。
2030年までにsdgs(持続可能な開発目標)が達成される頃にはaiと人類は共存しているかもしれないということだ。
倫理資本主義に基づいて新型コロナウイルスを語ると

Virusの散らばり

以上で表せるのではないか?
新型コロナウイルスのその先は、新しい人間関係をどのようにして作っていくかということだ。
その一例として今私はこのようにして、noteに記事を書いているわけだ。
これもある種のコミュニティーだ。
-第二章-
 この世界が仮想現実であることを示す証明式
ハンバーガーがある。
と、なぜ言えるのだろうか?
ここのハンバーガーは本当にハンバーガーなのだろうか?
仮にハンバーガーだったとして、見た目、食感、香り、味、音が頭の中のハンバーガーと同じだったらそれはハンバーガーだと言えるだろうか?
ここで矛盾が生じてしまっているのかもしれない...
もしかするとそのハンバーガーは頭の中で作り上げた幻にしか過ぎなかった、ということもあり得るのかもしれない?
ハンバーガーの存在自体がゲームの中で作り上げられたものにしか過ぎなかったとしたらどうだろう?
もしハンバーガーがマクスウェル方程式に則って作られているとしたら...
本当のハンバーガーとは一体なんなのだろうか...
とりあえず食べることができるから
-第三章-
 世界
一章で書いた詩型コロナウイルスの先の世界は存在するのだろうか?
仮に存在したと仮定してその世界とはどんな世界なのだろうか...
人間がいない世界なのだろうか...
もしそうだとしたらハンバーガーを食べるものはいなくなりそれは自然物理法則に従って腐っていくだろう...
そもそも人間とはなんなのだろう...
ただハンバーガーを食べるだけの存在ではないように私は思う。
自ら考え、思考し、創造と崩壊を相互作用させながら文明を発展させていく知的な生命体のように思う。
そもそも生命とはなんだろう...
もう一つ生物という言い方がありますけれども。
それは文字どうりものなわけです。
そしてそういったものに何か魂というか命が宿っている。
そういった生命感は実は代々受け継がれてきた生命感であり、それを現代の生物学が再発見したわけです。
動的平衡について詳しく説明すると、動的平衡とは、絶え間ない流れの中で一種のバランスが取れた状態のことである。崩壊してゆく生命を先回りして分解し、乱雑さによって崩壊してゆく速度よりも早く再構成されることでバランスが保たれる。
動的平衡に従っているのは何も人間だけではない。
人間の死後の世界はあると思いますか?
-第四章-
 自分と世界との関係
環境について考てみる。
環境問題は地球規模の問題だ。
今の若い人に田んぼ見せてアレ将来の自分だって思ったことないのって。
稲ができて殻をとって洗って蒸すという工程を経てご飯ができるわけだ。
それを食べて体の中に入っていくそして自分の一部になっていく。
つまり繋がっちゃってるんですよね私たちと環境は。
でも今の若い人全くそのこと思っていないんですよね。
で、なんでそう有わかりきったことを切っちゃうんだろうて思うんです。
自分というのを立てているのは明らかに脳だ、そして脳のあるところを壊すと面白いことが起こるんですね。
どこが壊れるのかというと今自分がどこにいるのかを決めている部分です。
例えばそこが壊れてしまった患者さんがあ〜これやっちゃったと思って。
自分の症状をどうかに書いておいた、でそうすると水になったっていってました。
どうゆうことかとゆうと、多分脳のとある部分が働かなくなったんでしょうね。
でそれは今自分がどこにいるのかを決めている部分です。
全宇宙と一致したっていってました。
これは典型的な宗教体験でしょ。
でその時に少なからず上から見ている自分でなんだ?
で自分で1人じゃないんですよね多分。
マップがあって地図があって、で自分はピンですよね矢印。
で絞り込んでいってもそのくらいはあるんでるよね。
マップとピン、これはもう切っても切り離せないですよ。
でも皆さん自分で1人だって思っていらしゃるでしょ。
別にいいんですよ思っていても、なんですけどそういったものを思っていますよってゆうのを知っておかないといけないんですね。
でそこになんてゆうんですかね仏教で言えばいわゆる業てゆうんですかね、そういったものを皆さんお持ちなんですよ。
なんですけどそういったものを持ってますよってゆうのを知っておかないといけないんですね。
そうすると全世界が気持ちいんんです、綺麗なんです。
でまだ私たちは感情がついていかないんですわ、でそうゆう感情が切っちゃう。
でもなんかそうゆうことを教えるのが私は宗教なような気がするんですね。
だから宗教って時にとんでもないことを信じさせようとするんでしょう。
論理でないものをあんまりキチン信じ過ぎようとするとこれって具合が悪いですよ。
ところで神は存在するのだろうか?
20世紀最大の物理学者アインシュタインは「神は存在しない」という名言を残しているが、彼は無神論者ではなかった。
例えばとある町に貧乏な家が一軒立っていたとしましょう。
すると神はそこの家には子供が生まれると言い出します。
しかしもし本物の神なら貧乏ではない平凡な家に子供が生まれるといってもよかったはず?
ただ実際に貧困問題は現実のものとなっています。
なので私は「神は存在しないと思います。」
たとえ存在したとしても「神は絶対にサイコロを降らない。」宗教というのを科学的にするという点では神は信じてもいいのかもしれない。
信じるか信じないかはあなた次第です。
-第五章-
自分と他者との関係
ハンバーガーがあった。
そのハンバーガーはMcdonald’sのハンバーガーだった。
その場からしばらく離れてまた戻ってくると、ハンバーガーはなかった。
そのハンバーガーは別の場所にあった。
自分ではない誰かが移動したのだろう。
この時に思うのは、ゆえに自分一人だけの幸せはない。自他共の幸福の中にこそ本当の幸福もある。弘教とは相手の幸福を願う心の発露である。
今回のパターンは弘教による自分1人だけの幸せだったのではないだろうか?
ある意味自他共の幸福とも言えるのではないだろうか?
-第六章-
人はなぜ他人を許せないのか?
1999年とある病院に赤ちゃんが生まれる。
そこで生まれた赤ちゃんは今年で24歳になる。
alsの赤ちゃんは普通の赤ちゃんより早く時間が流れているから。
alsの赤ちゃんの方が普通の赤ちゃんよりも年上の確率が高い。
24歳になった赤ちゃんは光の存在について次のように考えた。
(光速度不変の原理)=
「どの慣性系から見ても光の速度は同じ」
(相対性原理)=
「動くものの長さは縮む」
(E=mc^2)=
「エネルギーと質量の等価性」
さらには重力では、
(一般相対性理論)=
「重力は光を曲げる」
26歳になった赤ちゃんは相対性理論を1915〜1916年にかけて発表した
そしてアインシュタインはハンバーガーを食べた。
そして1955年4月18日(76歳没)。
アインシュタインは本当にハンバーガーを食べたのだろうか?
この世界の真実に近づくには嘘をつかなければならない。
もちろん感覚上の真偽なのか概念上の真偽なのかそれとも相互作用なのか?を見極める必要があるのではないか?
もし仮に本当にハンバーガーを食べていたとしたらそれが本当だろうか嘘だろうかだとしても、ハンバーガーを食べたというのは事実である。
嘘の嘘は本当になってしまうので、(自分でなんだ)+1になってしまう。
自分とは何か?
自分らしい生き方とは?
自分は存在するのか?
a=無限ループ
「契約書は重要だ。契約書はそれ自体に存在確率がある。」by Damia社
-第七章-
 実在と存在の違い
実在とはなんだろう?
実際に存在しているという意味なのではないだろうか?
存在とはなんだろう?
存在しているという意味なのではないだろうか?
実在が存在しているのか?
それとも存在が実在しているのか?
どちらでもいいような気がする。
あまりこのような疑問はいいことはないように思う。
お金と愛は実在するのだろうか?
それが存在しない世界は存在するのだろうか?
次のような哲学的な問いを考えてみる。
今自分はここにいます。
さて、あなたはどこにいるでしょうか?
この問いに対する答えは、あなたはここにいます。
次はこのような問いを考えてみる。
今私とハンバーガーはここにはいません。
さて、あなたはどこにいるでしょうか?
この問いに対する答えは、あなたはここにいます。しかし、私とハンバーガー以外のところに。
存在というものには連続性があると私は信じたい。
扉は存在するのか?
仮に存在したとしたら開くのか?
時間が存在したら開きそうな気もする。
次元についてはさまざま解釈があるが、damia解釈によれば次元は相対的なものであるということ。
つまり時間が存在していようがしていまいようが関係ないということだ。
人生に意味はあるのか?
フラワーオブライフでは全てに意味があって全てに意味がないということ。
存在意義はあるのか?
「大切なことは疑問を持たない状態に陥らないことである、知的好奇心はそれ自体に存在意義がある。」by Einstein
(てんさい)=(1%のひらめき)+(99%のべんきょう)
 さいごに
Hllow everivan naisu me too...!?

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