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する派、しない派

 オフィスに出社する生活ではない今、自宅の小部屋を一応の仕事スペースにしています。4畳ほどで狭く、デスクを置いたらあとはハンガーラックくらいしか入りません。ベッドを置きたいところですが、入るけれど、入れれば身動きは取れないだろうし、エアコンも最低6畳〜の製品と思うと効きすぎてどうなのか。結局、デスク、椅子、華奢なハンガーラックのみ。
あ、あとは大切に手入れしたはずなのに、直後から異臭がし出して処分に困っている空気清浄機がいます。
ラックに隠れるように身を潜めていますが、フィルターまで変えたのにどうしたもんやらという感じです。

住まいは元々、2LDKで広めのリビングを楽しみたい方向けの設計だったそうなのですが、
私が住む前のオーナーさんがお子さんのために設けた小部屋。
ということは、遠くない未来に私もこの部屋から去ることになります。

6月末から新たに始まった配信の仕事も、都合によってこの小部屋からしています。エアコンが現状ありませんので、この梅雨時、1人サウナ、1人汗臭。
やっぱりエアコンは、、いるかも。

いつか好きな街に状態の良い”オフィス”とやらを設けたいです。

 6月は慌ただしさとは程遠い生活で、人との会話、自分が発する言葉数がちょっと少なかった。
だからなのか、先日のRKBラジオ「イニゼロ」冒頭で番組タイトルをがなって(声を張って響かせること)以降、番組中何かが喉に絡む感覚で咳をしてしまいました。
突然声を出したもんだから喉も喉で開く準備ができていなかったのでしょう。
詰まり感がすごくありました。
できる範囲での発声練習は自宅の小部屋でやっていますが、そういう意図的に抑揚をつけてやる発声とは違って
会話の中で自然に出る抑揚、機微から出る声ってきっと喉からしてもストレスないものなのだと思います。
局アナの時はこんなことなかったですもの。

「午前中ほとんど人と話してないもので」という切ない弁明の上で進行していった番組ではもう一つの弊害が。

話たいことが多くて、話せることが嬉しくて、
なんだか早口で間のない喋りになったのです。

自分で思う自分の喋りっておそらく「ゆっくり目のおとなしめ」ですが、この日は
「自己満足のせっかちさん」になっていました。

せっかちさん、という表現

ややマイルドにして印象を操作していますが、初めてラジオで1人喋りデビューをした局アナ3年目の春を思い出しました。
聞いている人というより、「自分がこの時間を生きるため」みたいな。
要は自分的に良くなかった気がしたのです。

翌日には著名な放送作家の藤井青銅さんの「トークの教室」という本を書店で手に取り、セルフレジで精算を終えていました。
貪るように昨日読み終えて、その反省を元にnoteにぶつけているところです。

「トークの教室」ですが、
トークに正解はないけれど、私はこういうふうに思う。
そのような口調で意見が語られています。

俯瞰して述べられた意見ほど、痛感する内容は多く、
先日の自身の放送を改めて「ああ‥」と思うわけです。

局員の時は黙っていてもラジオの機会がありました。
だからこその余裕からかラジコのタイムフリー(ラジオを聞けるアプリでの追っかけ再生のこと)で、自分の放送は必ず聞き直していました。

まあ次はこうしようかな、くらいのポイントを探していたわけです。

それなのに、むしろやるべきとも思える今、その振り返りをできていません。
準備にかける時間は以前より多い分、万端で向かっているはずなのに、という情けなさからなのか。
自分でもよくわからない変化です。

聞き直す派、聞き直さない派
番組でも反省会する派、しない派

様々なのは知っています。

”反省会すると「粗探し」にしかならないから、素直に良いところが見えなくなる。”

”反省しなくて良いように準備120%。反省会はいらん。何か思うなら切り替え”

という考え方も、時のプロデューサー、番組、局によって大きく変わるものです。

自分個人は元々反省する派だったので、今は若干逃げているのか?
ん〜どうなのか。
でも聞き直さないことで、良い意味でフラットに放送している気も‥
と、まあ色々巡ります。

時間があると彷徨いがちになります。
来月以降はやや慌ただしい時期がやってきますので、思ったことを。

今日は幾分和らいだ蒸し暑さに助けられながら、小部屋でしたためるnote。

皆さんはする派しない派どっち?





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