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「映画」-『no public sounds』感想#3


「映画」も、「16:28」と並んで特に歌詞が好きな楽曲だ。この曲は大きな声で歌われないからこそ歌詞がより魅力的になっていると思う。

自分の言葉は届かない。それよりも、触れること、同じものを見ることの方が確かな繋がり方で、それをわかっていても、言葉で伝えたいものがあって、伝えようとしては消してを繰り返している。この歌の中にあるのはそういう関係じゃないかと思う。
“早く話して”ほしい(話す中身は問題ではない)こと、髪の匂いがわかること、「傷をつける」ことはどれも「触れる」ことだ。「触れる」ことや2人ともが知っている映画の台詞を通して繋がれるけれど、「私」自身の言葉は相手に届いていない(と「私」は感じている)気がした。
(“「夜に溶けきれず⭐︎を飲んでる」って
僕の手紙食べるのをやめてよ”
のフレーズからは、なんとなく、悲しみの中で自棄になっている相手に言葉をかけても受け流されてしまう みたいな場面が思い浮かんだ。)

歌い始めの声は、同じ部屋の中で、手が触れないくらいの距離にいる相手に話しかけるような調子と音量だと感じた。繋がれないとわかっていて繋がろうとすることを連想させる。
終盤の
“君が望むなら
私は月だって海に浮かべて見せるよ”
の震えは、この曲のいちばん美しいところだと思う。

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