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引き留めてくれるもの

小さい頃から、本当は行きたくない方にコケるまで突っ走ってしまう癖がある。「本当は〇〇したい」に蓋をするのが上手すぎて、無理をしているのを自分でも時々忘れる。自分で忘れるくらいなので、当然他者が気づいて止めてくれることはない。ただの「◻︎◻︎が好きな人」「困難な道に強い意志で挑戦している人」と映っているのだろう。
2ヶ月程前、人生最大規模で発動していたその癖をやめることができた。
やりたくないことを“頑張って”きた一年間、必要なこと・やりたいことに使うはずの時間とお金を失い続けた。不満と怒りと自己嫌悪で自家中毒を起こした身体は鉛の重さ、支えきれず脚は捻れざりざりと地面に引き摺り剥けて血が出てもコケることはなかった。コケなくても止まることができたのは、小説や歌詞やDIVAのおかげだった。
私を引き留めて力づけてくれたものの殆どは、作品の中で/作品を通して出会った(最悪な/大嫌いな)自分と似た、別ルートを歩んでいる存在だったなと思う。いくつか挙げてみる。

その1 :今村夏子の「的になった七未」(『木になった亜沙』収録)。やむを得ず、他者には理解してもらい難い、自分にしかわからない世界を持ってしまった人が、今村作品にはよく出てくる。「こちらあみ子」の「あみ子」や表題作の「亜沙」もそう。中でも、ものを投げられても絶対に当たらない、誰からも触れられることがない「七未」と出会えたことが嬉しかった。私の中の“絶対に止まれない女”があの作中の祭で射的の人混みに突っ込んで倒れたとしたら、若い男性に撃たれて屋台の側で泣き崩れている女性が「嬉しくて泣いている」とわかるんじゃないか。「息子」が触れてくれた、と説明されなくても。(そういう小説書きたい!)

その2: ゆっきゅんの歌詞全般、DIVA活動全般、Y2K新書
いつどんな場所でも「好きなもの好き」って言えてたわけではなかったであろう人が、好きなものを好きであり続け、今、聴く人が「好きなもの好き」な気持ちに気づくような音楽を作っていることが尊い。歌詞の中の人、「わかる」部分が多いけど、それが私がしない・できない行動に繋がるんだなぁ〜と思う曲が多い。今日初めて聴いたけど友達だったっけ!?とよく思う。イマジナリーフレンドソングと呼んでいる。
「隕石でごめんなさい」はその筆頭。
好きな人に対して「変なダンスで今助けるからな」も「また自分の面白で夜を乗り越えるの」も、わかるしあるんだけど、私の場合「態度のデカい片想い」にはなってないことが多い。自分の内側で想いばかりがクソデカになりがちで、「私ばっかり好きだよな」と「自分じゃなくて好きな人を見ろよ!」の間を何往復もして踠いている。相手が変なダンス(概念)で笑ってくれると嬉しいし、自意識がクソデカになり過ぎて滑稽なこともある。歌詞の「面白」は多分私と違って、相手に働きかけたけどうまくヒットしなかったとか、外向きゆえの「面白」だと思う。私のは内向きが多い。アンテナを相手に向けて行動し続けるところ素敵だし私のと一緒にするのはおこがましいかもしれないけど、面白で乗り越えなきゃやっていけない夜があるのはわかる気がするよ、とイマジナリーフレンドに対して思う。
「日帰りで」は大事な友達に対する私の姿勢とシンクロする部分がかなり多いし、「last order」は「好きなもの好き」と「好きな人好き」要素が溢れてて助かるし、似てるところ・違うところを探すのも楽しい(「充電切れて頭で聴ける声」はよくある!「暗い部屋に点けっぱなし一時停止テレビ画面の永作」はわかるけどちょっと違う!とか)。「ログアウト・ボーナス」にももちろん背中を押されている。
それから、Y2K新書にもたくさん助けられた。個人的には「好きなもの好き」に蓋をすることを覚えたのがちょうど2000年代だったから、当時実は興味があったもの・面白かったものが次々話題に挙げられて、知らないものも沢山挙げられて、とにかくお三方のお喋りが楽しくて聴いてるうちに自分にかけた呪いが解けていくのを感じた。
特に良かった回は、「あんたたちのY2K」「私たちがメジャーだと思っている作品が語られないワケ」「下妻物語とNANA」「さよなら大好きな人」「リスナーよ、山賊になれ」。

それまでにもたくさん、好きなこと・好きじゃないこと、やりたいこと・やりたくないことに気づくヒントになるもの(主に音楽)にはたくさん出会っていたけれど、自分の内面に取り込んだものを新鮮な気持ちで見つめるのは難しい。作品と新しく出会うことも大切だなぁと思う。
(数年前から毎日、私の中の有村竜太朗が「本当の気持ちじゃないならどんなことももうしないでよ」と叫ばなかった日はないし、今思うと、素直になれていない感があったからこそ去年の夏中「アダルト feat.アヴちゃん from女王蜂 &RYUHEI from BE:FIRST」を聴いていた。)

ゆっきゅんがCINRAのラジオで言及してて、そう言えば全部手元に置きたかった!と思い立って揃えたグザヴィエ・ドラン作品。


作品も良いけれど、やはり人との交流もすごく効く。上司との小説の勧め合い&貸し借りにも助けられた。特に、上司:『ののはな通信』(三浦しをん)→私:『コールミー・バイ・ノーネーム』(斜線堂有紀)の往復が私にとっては宝物を交換するような時間だった。

無理をして自分の一部を殺すことをやめると、「やりたいけど実力が足りない」とか「状況的にできない」とかに対する感情の解像度が上がって気分のアップダウンもかなり激しくなった。でも、行きたくない方へ無理矢理走っていた時より遥かに健康的だなぁと感じる。

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