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20220912 認知症の私から見える社会 丹野智文を読んで

気になった言葉

みなさんが関わる認知症の人たちが、「幸せと感じているか」を振りかえる

ひとりになると自然と涙が出てくるのです。それだけ不安と恐怖に押しつぶされそうになっていた。
誰でも、言ったことが否定されるのは嫌なものです
当事者のことを思って話をしていることが、当事者を傷つけている場合もある

悪口は本人のいないところで、言葉にする前に先に言われる。そして黙る。そしてこの人は話も、何も出来なくなりました。
→…イライラが募って、不満が溜まり、爆発する。
あきらめて我慢し反論しません

失敗して困らないように何でも先回りして「してあげる」と、自分で工夫することも考えつかなくなります。そして、最後には一人では何も出来なくなってしまい、結果家族に負担を変える当事者になってしまいます。

良く認知症の人は怒りやすくなるといいますが、気づかないうちに当事者を怒らせていませんか?「徘徊」とよく言われますが、出ていく理由を確認せずに徘徊と決めつけていませんか?

認知症の症状がもたらす日常のストレスは、自分自身が症状を受け入れ、工夫することで改善されます

欠けている部分を認めてもらう
家族が困らないように自分の意思を押し殺して下向いて黙ってしまう

支援者の困りごとでなくて、肝心の本人の困りごとが解決されない
現在、前向きに工夫をしている家族の話の方が参考になります

何度も聞くのは、気が引ける。「OK、グーグル、今日の予定を教えて」

同じものを何度も買う人、未使用のノートが50冊あった、児童館や施設に寄付をしたらどうですか

診断されていなければ、自由に出かけられたりできるのに、診断名がついた途端に家族から「ダメ」といわれることが増えてしまう

診断後、当事者が求めていることは、いままでの人のつながりや社会とのつながりを断ち切ることなく生活していくことなのに、認知症の診断がなされた瞬間から、いままでの生活を変えなければならなくなります。これまでの生活を続けていくためには、国からの支援だけでなく、地域で役立つ情報を伝えてあげるなど、その人がこれまで築いてきた社会とのかかわりをたちきることないような情報提供が必要なのではないでしょうか?

当事者が「自分で決める」という視点がなかったと思います

みんな、なぜ自分だけがこんな病気になってしまったのだろうと思い続けているからです

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