アイススケートの思い出⛸
夏の蒸し暑さから一転して、9月は肌寒い日が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。涼しくなってもアイスを食べるのはやめられない私ですが🍦。さて今日は、アイスと言っても〝アイススケート〟にまつわる、昭和ならではの思い出話になります。
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家から電車で2駅先にある都心の高層ビル街に、冬季だけ特設された小さな屋外スケートリンクがありました。貸靴代200円だけで時間制限なし。
今は無いそのリンクに、小学生の頃、妹や友だちと一緒に、よく遊びに行ったなぁ…。
通っているうちに顔馴染みの人たちとお友だちになって、リンクでスリル満点の追っかけっこして遊んだり、すっ転んで尾骶骨を打って数日間痛かったり…💦
常連さんの中にはとても上品なお爺さんがいらして、今思うと、70代半ばくらいでしょうか。
高齢とは思えないほどスケートが上手で、時々、クルクル〜っとスピンをして皆の羨望の眼差しを集めていたお爺さん。
ある時私は、勇気を出して…
「お爺さん、教えてください!」って言ってみたんです。
すると…
お爺さんはこっちへ来なさいとリンクの端に私を誘導し、おもむろにポケットから折り畳んだ紙を取り出して私に見せました。
「スケートという競技はね、基本の動きであるコンパルソリーと、フリーの演技があるんです。その両方を身につける必要があります。…私は日本代表の選手をしていました。基本から教えましょう。」
驚いた😳 コンパルソリー⁇ですか。。
今日だけ教えてくれたらラッキー、ぐらいの軽い気持ちだったのに…。
それ以降、スケートを基礎から習うことになったのです。もちろん無料、約束なしに会えた日だけのレッスンです。
今日はお爺さんいるかしら?…あっ、いた!!
「こんにちは〜!」
「あーこんにちは。ではこないだの続きからやりましょう。」
てな具合で。
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ある日帰り際に、別の常連のおじさんが声をかけてきました。
「帰りに和菓子を食べないかい?」と。
常日頃、知らない人について行ってはいけない、と親から言われていたのですが…
そのおじさん、お名前はササキさん。横浜に住んでいることや、私と同じ年頃でフェリスという私立の学校に通っている娘さんがいると、可愛い写真を見せてくれていました。
私は『こんなに可愛い娘さんがいるのに、どうして私たちに親切にするのかしら?もしや、横浜で売り飛ばされたりして…😵』と妄想し、頭の中には、
♪赤い靴〜履〜いてた〜、お〜ん〜な〜の〜子〜♪
が流れました。
しかし、空腹感には勝てず、妹と一緒だという心強さもあり、おじさんについて行くと…
ビル内の地下にあるお店〝とらや〟という和菓子屋さんで、お茶と羊羹をご馳走になり温まってから帰る、これがいつものパターンになりました。
そんなある日、おじさんが和菓子屋さんの前にあるショーケースに飾られた白いスケート靴を指差して、
「スケート靴ほしい?」と訊いてきました。
『え?…???…』
憧れの白いスケート靴を見て、きっと目を輝かせていたに違いありません。
「おじさんから二人にプレゼントだよ」
その日、私と妹は、夢にまで見た白いマイスケート靴をいただき、大事に持って帰ったのでした。
❇︎
シーズンが終わる頃、お爺さん先生は言いました。
「ここが閉鎖されても、向ヶ丘遊園地のスケートリンクにいますよ」と。
私は行き方を調べて、何度か向ヶ丘遊園地に行きましたが、もうお会いすることはできませんでした。
私は小学校の高学年ごろの数年間で、スケートが上達しました。
基本の滑り方のみならず、片足ひと蹴りで大きな円を描いたり。コーナーは足をクロスして、時にはステップを踏んだりバックしたり。スピンや半回転ジャンプもできるようになりました。
名前も知らない元日本代表選手のお爺さんと、そして、いつも見守ってくれていたおじさん、本当にありがとうございました😊
おかげで私は、スケートだけは学校で一番(たぶん)上手になりました❣️
子供だけで自由にさせてくれた、大らかな親だからこその、なかなかできない経験だったと、いま思い出すとちょっと心配になる、昭和ならではの、ほっこり思い出話でした😅
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さいごまで読んでくださりありがとうございました♪✨
yakisobahさん、都会のビル街写真をお借りしました。ありがとうございました😊
もう一つ、幼少期の思い出を綴っています。もし良かったら読んで頂けたら嬉しいです。
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