志村けんと東村山音頭

幼い頃を過ごした当時の下町は
エリア内に多くの小学校が点在した

したがって通った学校も
1学年×2クラスだけの500人規模

運動会では毎年、各学年の
1組が赤組
2組が白組

アスファルトの校庭は
とても硬かった

脆弱だった自分にとって
運動会は予行練習も含めて
早く過ぎ去って欲しい時間だった

ある日の全校集会。

運動会実行委員の上級生より
赤組白組の両応援歌の発表があるとのことだった

歌詞が刷られた小さな藁半紙が配られた

我が赤組応援歌は
東村山音頭の替え歌であった。

大歓声が起こった

自分も叫んでいた

もはや負ける気がしなかった

一方の白組は童謡の替え歌だった

白組じゃなくて良かった
と心の底から思った

1週間ほどして
赤組応援歌は
童謡の替え歌に変更されたと知らせがあった

今、思えば 本来は
赤組生徒の天狗っぷりと
白組生徒の猛反発とを憂いての対応だったのだろう

しかし
翌週の全校集会で
その男性教諭は壇上で激昂した

天にも昇る歓喜と
斃れむばかりの落胆とを産み出す
モンスターソングの使用中止を伝えるのに彼は、
諭すのでなく

我らのヒーローを酷く
愚弄することで
力づくの達成を図った

曰く、下品な番組は視るに値しない

曰く、下品な番組で歌われるこの歌は下劣である

曰く、この下劣な歌を神聖な学舎で歌うことを今後一切禁止をする

曰く、したがって応援歌の替え歌にこの歌は使わない

小2の心に漠とした違和感だけを遺した。

いま、自分は忘れない
下劣上等と
凄まじい光を放ち続けてくれた
一人の戦士を

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