二次元に本気で救いを求めている哀れなメンヘラ女

※薬飲んで酩酊状態で書いてるので本当に何言ってるかわかんない文章が続きます 編集して出し直したのでちょっとマシになってるかも

 シンプルになんのために生きているんだろう。最近は漠然と、ただ救われたい。死にたい、自殺したいとかそういう感情ではなく(もちろんそれは根底にあって、今後消えることはおそらくないのだが)、ただ救われたい。それがどういう状態を指すのか、誰が私を救いに来るのか、何もわからないが、とにかく救われたいとだけ考えている。
 一時気が狂ったのかなんなのか、いや完全に狂って、好きなキャラの名前を腕に彫れば好きなキャラが迎えにきて何もかもをどうにかしてくれると思いカッターを探しだしたことがある。机の引き出しをひっくり返して、ペン立てをひっくり返して、なかったのでやめた。さすがに気持ちの悪いオタクがすぎる。相互に推しの名前を腕に彫った人がいるが、ようやくその心情を実感できた。    
 信仰に近いのだ、これは。なんだかもう助けてくれ、と推しの名前を呼ぶ瞬間がある。ガチ恋という言葉があるが、確実に恋ではない。ただただ救いを求めているだけである。信者である。新興宗教の信者が教祖と付き合いたいだなんて思うか? 多分思わない。
 現実は、現実の人間は気を紛らわせてはくれるが私を救ってはくれない。いや、二次元のキャラも私を救わないし気を紛らわせてくれるだけだが、現実と違って私を地獄に突き落とすようなことはしないのは確実。
 現実は怖い。現実の人間は私のことを好きになってくれるかもしれないが、それと同じだけ嫌いになる可能性を孕んでいる。何を感じて、どう行動するのかさっぱりわからない。だからこそ面白いとも思うし、他人の感情も意思も全部手に取るようにわかるようになるならば心底つまらないとも思うが、それは観察対象という視点からであり、実際に深く関わって、情緒を預ける対象としては不安定すぎる。不明瞭であることは、楽しい。それと同時にとても怖い。
 二次元のキャラはどこまでも都合のいい存在だから、私が動かそうと思えば脳内では私の解釈と願望のままに動いてくれる。それに勝手に救われている。ドキドキ文芸部を筆頭に第四の壁を超える作品は増えてきているように感じるが、彼女あるいは彼らにはプログラムされていない、本物の自我などあるのだろうか。あるなら、私はそれを粉々にすり潰して上書きしているのと同じだから、ない方がいい。もしそうだったらと考えたら嫌になる。自我がある存在が私のことを好意的に捉えるわけがないし。悲しき存在ですね。
 何が言いたいか分からなくなってきたため切り上げようと思う。どうせ今の私が考えていることなんかまとめても明日には違う意見に変わってたりするし。マジで、明日には現実最高! ハッピー人生! とか叫んでてもおかしくないです。

 三行くらいで要約すると、私は気持ちが悪いメンヘラのオタクで、現実逃避に明け暮れて、夢女に片足突っ込んで、いや肩まで浸かって、生きてます。たのしー
 マジで終わりですよこんなの、気持ち悪すぎるあまりにも 早く自殺したいよー

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