誰かを犠牲にしなければ心の安寧は手に入らないのかと悲観する夜

今日は疲れました。心の安寧はどうやって手に入るのでしょうか。

経済的余裕?稼ぎ方次第でしょうが、ぱっと周りを見ると、働くことが心に負荷をかけているように見えます。

ではニートやヒモ。同じ屋根の下の人の心が死にますね……

ストレスを解消するために気に入らない人のSNSでも炎上させましょうか。匿名多数に紛れるのは安心感があっていいですよね。

……暴力は論外です。


もっとシンプルなのがあります。友達、家族、恋人……人との触れ合いですね!スポーツやゲームや飲み会で楽しいひとときを過ごせば、あっという間に……

それは協調性だとかコミュニケーション能力だとかが高い人なら成り立つ解決策です。あるいは、気の合う人に巡り会えた人の解決策です。

そこで芸術の出番ですよ。音楽でも芝居でもテレビでもYouTuberでも、芸術は心に恵みをもたらします。もちろんその中に安寧も含まれるでしょう。僕が役者やら脚本やらに手を出しているのは、そういう恩恵を与える側に成りたいというのもあります。

でも勘のいい方は気付いたかもしれません、そうです、芸能人やクリエイターのいる環境は過酷です。僕が癒しを得るまでに、一体何人が血の涙を流したんでしょうか……(芸術は過酷だからこそ美しくなるという考え方もあるとは思います)

きっと食べ物と同じなんでしょうね、誰かが食肉とならなければならない。それが生きるということの本質、大人や社会人になるというのは、我が身のために人を食らう覚悟を決めるということなのかも知れません。

……反論ありますよね。僕もこの悲観を呑み込みたくないので、論破して下されば有難いです。とりあえずいったん寝て忘れますが……


入川礁/役者/脚本/舞台/ボイスドラマ/映像/SHOWROOM/Twitter/ホグワーツ3年生/デュエリストエンジョイ勢



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