2024/03/16 文章を読みお笑いを見た


 目が覚めた時の「アやってしまった」感が半端ではなかった。そこは実家だった。まず寝る前にこたつでころころしていて、そろそろ布団に移らないとなぁとか考えていたのだがこたつの外が寒すぎて中々出られず、もうちょっとで出る、もうちょっとで出るとか引き伸ばしているうちに寝てしまい、結局布団は使われなかった。そしてこたつから出たらコンタクトを外して液に浸し、ここは実家で替えのコンタクトはないので不衛生だが明日またそれをつけようと思っていたのに、こたつから出ることがなかった為にコンタクトは外されず、つまり一晩つけっぱなしにしてしまった。本を読むことが好きだというのに、故に目はとても大切だと言うのに、大切に扱ってやれなかった。大後悔。でもわりとよくやる。全く学習し切れない。
 目がカピカピだなぁと一応コンタクトを洗った。少しスッキリしたような気持ちになる。

 サラダと目玉焼きトーストを食べる。久しぶりのパン食。ここは実家で、冷凍のお米とかさつまいもはなく、米を炊くのも面倒だったのでパンにした。久しぶりに食べるとめちゃくちゃ美味しい。止まらなくなりそうだったのでコーヒーを飲んで、お腹を落ち着かせた。
 テレビで撮り溜めていたお笑い番組を見る。ネタパレの再放送だとか、くりぃむナントカだとか、笑神様だとか。それらはキーワードを登録していることにより、自動的に録画されたランジャタイが出演している番組だった。再放送の方は国崎の髪も眉もまだあって、髪と眉がまだあるなぁと思った。髪があったころは無造作にくしゃついた前髪がなんともアンニュイな雰囲気を醸し出し、ともすればアイドルとまでは言わないにしろなにかしらのアーティストのようにも見え、それが女の子たちに人気だったろうに、彼はまだ髪を剃り続けていて、それが全く意味がわからなくて怖い、いや面白い?もしかしたら怖いと面白いって似ているのか。自分の容姿に興味はなくともいいに越したことはないと思うのだが、そういう感覚が国崎にはないのだろうか。坊主の片眉なし男というキャラクターでいくつもりなのだろうか。片眉について突っ込まれる度に、なんと答えるのかが楽しみで仕方ない。新しいタイプの、色んなものを犠牲にした大喜利だ。
 私は髪がある方が良いとも無い方が良いとも思わないが、一旦短くしてしまった髪を伸ばすのってなんていうか努力が必要だよな〜わかる〜と、キモイ方向の共感を覚えている。ロングにしたいなと思いつつ、ショートの呪縛から抜け出せていない。今年こそは伸ばしたい。何の話だ。共感の話。好きな人と同じ音楽を聴く、とか、同じ映画を見る、とか、人ってそういうことをしてしまう生き物で、私もそうで、しかしちょっといきすぎというかオタク的というかストーリーともいえる性質の私は、好きな人と同じになりたいと思ってしまうタイプで、なんか服の系統とか髪型とかを真似してしまう。だから私の写真を見るとその頃何に誰にハマっているのかがよく分かる。でも流石に、坊主片眉なし女にはなれない。なりたくない。良かった。理性があって。

 そういえば、昨日コンビニで買ったクレープがある、と思い出し、コーヒーを用意してカバンの中から文學界を取り出す。コーヒー、クレープ、文學界。昨日の夜からこの三つで素敵な時間を過ごすのを楽しみにしていた。文學界は久しぶりに読む。今回の一番の目当ては滝口悠生であった。滝口悠生の描く家族がとても好きで、今回の作品は家族たちの話で、それはとてもよくて、やっぱりなと思った。主人公の母親は七人兄弟で、あれほんとに七人だったかな、一人二人三人、うん、多分7人兄弟で、レンタカーを借りてみんなで一番上のお兄さんを老人施設へと送る話だった。たくさんの家族が出てきて、えっとこの人はだれだったかな、こことここの関係は、みたいな時間が好きだった。死んでいない者を読んだ時のあの、うわぁこういうの好きだなぁ、という気持ち、それがまたじわっと溢れ出てきた。
 初めて読んだ滝口悠生はアイオワ日記だった。『アイオワ日記やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』は、世界各国から作家を集めるIWPというプログラムに参加した滝口悠生が書いた日記本で、それを毎月日記本を届けてくれるという素敵な定期便で受け取り、誰だか知らない人のなんだか分からないプログラムについての日記を読んだ当時、なんにも分からないにも関わらず私はいたく興奮した。文章がとても好きで、おそらくあれは一目惚れだった。初めての経験であった。全てが心地よくて、日記だから現実にあったことなので殺人が起こったり宇宙人が攻めてきたりそういう種の劇的な展開はないのだが、毎ページ私はメロメロになっていた。あとビールが飲みたくなった。
 文章を好きになって、そしたら日記の中の主人公、つまり滝口悠生、だから滝口悠生がこの素敵な文章を書いていて、じゃああたし、滝口悠生ラブすぎるわ〜、みたいな、そんな感じで。滝口悠生って言いたいだけみたいな、そうかもしれない、なんか名前まで素敵だもんな、とか思って、マジで恋じゃん笑みたいな。笑っちゃうよな。だから、笑っちゃうくらい、好きな作家だった。
 この文學界四月号に掲載されている『煙』は短い話で、あっという間に読み終えるのに、余韻がものすごくて、それがいい読書体験としてずっと記憶に残るんだろうなと嬉しくなる。高齢者を施設に入居させるという言わば別れの話で、三月に読むにはうってつけな感じで、それでも最後があんまりかなしいとかしんみりとかの後味じゃないのも三月向けだ。なんか、あららみたいな感じで終わりそうに、ワオ、ハッピーじゃん、みたいな終わり方で、それが気持ちよくて笑った。
 読みながらクレープを食べていたのだけれど、買った時はチョコの入ったクレープだと思っていたのだけど、食べてみたらあんこだった。昨夜母に買ってもらったそれは、まだ私が選んでいないのに母はもうレジに並んでいて、もうすぐ順番くるよと急かされて「何でもう並んじゃうんよ、えらんでないよ、まだ決めらんないよ」とかってなりながらえいと選んだもので、その時は「ええいチョコのクレープにしとこ」の気持ちで、今もチョコの気分で、でも違った。あんこの入ったクレープだった。なんだそれ珍しいな。たぶん美味しいものなのだろうけど、チョコだと思ったらあんこだったがっかりが強くてあんまり味は分からなかった。なんだぁあんこかぁ……しょんぼり。としながら食べた。

チョコだと思ったらあんこだったクレープ


 昼頃に実家を出た。帰る前に最寄り駅のマツキヨに寄って、リンメルのリップライナーとセザンヌのオレンジリップを購入。春なのでオレンジ色のリップが欲しくて、私は肌はそうでも無いけれど唇が弱弱の人間で、だから買ったはいいものの合わないみたいなことがよくあるのでプチプラのものを選びがち。デパコスでも合わないものがあるし、韓国コスメはほとんど合わない。ロムアンドに可愛いリップが山ほどあるのは分かっているのだけれど、必ず唇がぼろぼろになるので、悔しい思いをしている。強くなりてぇ。
 家に帰ってぬいぐるみたちの洗濯をした。
 昨日爆食いしたからか、胃が「こんなに食べてもいいんですね」みたいになってめちゃくちゃお腹が減るようになった。やってしまった。ハンバーグとお米とキャロットラペとサラダを食べた。9番街レトロの好きなもの三品たべる動画を見ながら食べていたから、食欲が刺激されてお腹が減って、そして食べて、みたいなことになった。もりもり食べた。
 文學界をペラペラと読む。村田沙耶香を読んだ後は最初から順に読もうとして、私はわりと文芸誌は全部読むタイプだなと気づいた。そして昨日の友達の言葉を思い出す。焼肉屋さんに予約した時間より十分と少し早くお店の近くに着いて、予約時間は開店時間だったのでまだ入れず、店の前で文學界をぺらぺらしながら読むのが楽しみだと言ったら「うん、文章を読むのが好きなのが伝わってくる」と言われた。はっとした。あなたはどんな人ですかと聞かれたらお笑いとか本とかが好きな人です、と答えるけれど、文章を読むのが好きだとあまり強く意識していないというか、読むのが日常というか、歯を磨くとか、髪をとかすとか、水を飲むとか、なんかそういうのと同列だったというか、つまり嬉しかった。文章を読むのが好き、うん、そうなんだよな、って思って、それで、友達にも私は文章を読むのが好きだと思われていて、彼女が私の好きな物について知っているのが嬉しくて、好きっていい言葉だねとか言った。

 夜寝るのが遅かったのに朝が早くて、ちょっとお昼寝しよ〜と瞼を閉じたら三時間前寝ていた。熟睡。こたつじゃなくベッドでの睡眠は気持ちよかった。そこから動き出す気になれずYouTubeなどを見ていた。漫才ブームの動画と、S4の動画と、えぐいっちtokyoとかを見た。
 
 なんか一日だらだらしていたら書くのが面倒になってきたのでここまで。

 


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