安住していないか?
思い立って、これまで自分が書いたエッセイを流し読みしていた。
文章を書くのが好きなんだということ。
特に、分析、考察を経て文章を練り上げていくのが。最近、自分の書く文章は、そういったものではなく、一般受けしやすいことを第一義に置いているので、文章の質が変わってきた。
一番フラットな状態で自分の思考を書き綴ろうとしているのは、今も変わらずこのエッセイの形だ。だから、時々、足元を見るという意味でも書き続けていたい。
これまでのエッセイを読んでいて、4月当初に書いた退職という決断が目に留まった。
仕事を辞めてから、半年間はどこへ向かったらいいのか方向性も定かでなく、不安と希望のバランスが不安に傾いたり、時に希望の光が見えたり、安心できる日などなかった。
そして、現在、ようやく納得できる職も見つかり、自分のプロジェクトも進めつつある状態。
ただし、自分のエッセイを読んでいて、出発点に立った時の気持ちの昂りや、迷走中の憤りなど、何かを爆発的に動かそうとするエネルギーが薄れ、道半ばで安住しているような気もした。
きっと、人間は慣れてしまう生き物なのだ。
だから、現状の立ち位置で満足し、成長すること、変化することをやめてしまう。
でも、待ってほしい。
ここが最終地点ではないだろう。
見たかった景色はまだ先だろう。
満足しないことは、「今」を否定していることとは違う。むしろ、これまで積み上げてきた自分の努力や周りの支えに感謝し、「今」を肯定している。そして、幸せにも思う。
それでも、ここに腰を下ろしたくはない。
ヒラヒラと舞う蝶のように、明日もまた、違う世界や新しい感情に、心を踊らせ、命を輝かせたい。
だから、今のこの幸せですら、手放して。感謝を足跡に残しながら、進んでいきたい。
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