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居場所
居場所。
そもそも、居場所って何なのか?
核家族化、孤立化、地域社会の崩壊などの問題から、よく議題にあがるのが、「居場所」づくりなのだが、そもそもそれは何なのか、というところを考えないと、解決には至らない。
初めに結論から言うと、居場所というのは、「自分らしくいられる場所」だと私は思う。
しかし、今、世の中で多くの人が認識している「居場所」とは、逃げ場のようなものであったり、個性を排したものであったりする気がしてならない。
家族。仕事場。学校。友人仲間。
もしくは、ネット。趣味の場。娯楽。
そんなところに、「居場所」があるわけだが、何かに所属するとなると、どうも、その色に染まらないといけないようだ。
特に顕著な例を挙げると、「ギャル」が分かりやすい。よく似た髪形、よく似た格好、よく似た持ち物、よく似たしゃべり方…。
そんな風にして個性を排して、自分らしさをなくすことで、その場所にいられる。そうでもしないと、「居場所」を作ることができないから、個性をなくす方が簡単で生きやすいと考える人が多いだろう。
分かりやすい例を挙げたが、ほとんどのグループの構造がそうなっているような気がする。
違いを認めること、個性を尊重することは、社会の仕組み上、グループの構造上、あまり一般的ではないようだ。小学校低学年辺りまでは、違いを簡単に受け入れて仲間に入れるように見受けられるのだが、それ以上になると、だんだんと「周りと合わせないといけない」「友達といっしょにしなければならない」と、なぜか思うようになっていく。
「自分らしくありたい」と思う人はどうするか。自分らしくあり続けるのだ。時間はかかるかもしれないが、そうすることで、個性が光っている人同志がつながり集まり、グループができてくる。そういう人たちはグループとも呼ばないのかもしれない。何となく集まったなぁという感じ。
それぞれが「自分らしく」いたら、デコボコなのは当たり前。でも、だからこそ、そこには、学びがあり、刺激的で面白い。そして、高めあい、発展し続ける。
種類が様々で、多様な植物、木が育つ森は豊かで、商業的な目的のために人工的に造られた木は貧しい。それは、人間社会もいっしょだ。
これから、作っていくべき「居場所」となるのは、本当の意味で「自分らしく」いられる場所。そして、その場所に行くには、一歩大きな勇気が必要になってくるのかもしれない。その後押しも含め、今後取り組んでいく必要があると考えられる。
サポートとそのお気持ちは、創作や家族の居場所づくりのために還元できたらと思ってます。