こころを開く

常にオープンマインドの人も世の中には少数派であるようだがいると思う。
そうした人の中でも、ずんずんと他者のこころの中まで入っていくタイプの人がいる。どちらかというと、そうした人に対しては苦手意識を感じていた。まったく自分と違うタイプのように思われ、尊敬の念を抱く一方で、できれば距離感を保っておきたいと感じてしまう。ただし、嫌いなわけではない。むしろ、見ていると学ばされることが多くおもしろい。

他者に対してオープンマインドでありながら、うまく距離感を保っている人もいる。そうした人に共通するのは、基本的に受け身のスタンスを取っていることなのかもしれない。傾聴。全受容。

「こころを開く」ことが関係性を築いていく第一歩とするならば、こころを開くためには、どういったことが必要なのだろう。

わたしは、こころを開くためにはこころを閉じる時間がある程度必要なのでは、と思っている。自分の世界や、自分の心が成熟するまで、学校から、社会から、家族から、友達から、自分を脅かすものから、距離を置き、一人になること。

感受性が豊かだったり、人とは違う感性を持っている人は、学生時代に自分の世界を脅かされる感覚に陥るかもしれない。本当は外側の環境に影響は受けても、自分の世界が脅かされることはないのだが、まだ「自分」というものがおぼろげな段階において、脅かされる恐怖というのは、自分の存在まで危ぶまれる感覚になる。

そうした気持ちを味わうことで、強制的に「こころを閉ざす」場合もあるだろう。それはそれで、いい選択なのかもしれない。一旦、外部の刺激から離れて、自分の世界に閉じこもることで、自分を守る術を見つけ出せるのなら。

閉ざす過程の中で、自分の世界を構築するきっかけとなるものを発見したり、自分のこころの守り方を習得することができれば幸運だ。わたしは、それが「詩」だったり、「音楽」だったりしたが、人にっては、漫画を描くこと、スポーツすることなど多種多様だと思う。自分の世界を表現することで、昇華されていき、希望は生まれるかもしれない。

自分の世界を、自分で守ることができるという感覚を覚えたとき、「こころを開く」ということが可能になるように思う。

もしかしたら、人の出会いがきっかけを与えてくれることもあるだろうが、実際には、その出会いも自分が選んだこと。自分が相手を信じることを、どうなっても大丈夫だと自分を信じることを決めた結果だ。

自分の世界は守られていると思っていたとしても、日常生活で、その感覚がずれて、流れにのまれてしまいそうになることもあるだろう。そうした時には、やっぱり、一人になって自分に立ち戻る時間が必要になる。そんな時間を持てなかったとしても、10秒間目をつむって、自分の気持ちに目を向けたり、好きな音楽や本の世界に飛び込んで、一旦、外側の世界を遮断したりすることもできる。

自分のこころの真ん中。それが居心地のいい場所で、どんな感覚か自分でわかっていると、ずれたとしても戻りやすい。そうしたことを繰り返しながら、自分の気持ちを大切に生きていると、なぜか、こころを開こうと思わなくても、いつの間にかこころを開いている状態を保てていることに、あとで気づくことになるかもしれない。

サポートとそのお気持ちは、創作や家族の居場所づくりのために還元できたらと思ってます。