人生色々。わたしの中の自分も色々。悪魔も天使も顔を出す。
自分の機嫌は自分で取る。
時に、随分と道が外れてしまったかに思えることがあっても、すぐ軌道修正はできる、戻ってこれると思っていた。
自分の「機嫌」、言い換えるならば、「扱い方」を以前よりは、少し、、いや、かなり?
わかるようになってきたからなのかもしれない。
しかしだ、時は変化するもの。
状況や環境によって、その時の自分の「扱い方」も変わってくるもので、それが今、全くと言っていいほど、掴めなくなってしまった。
簡単に言うと、なぜかイライラが止まらない。無性に腹が立つ。日々のタスクは行うが、それ以外は無気力で前向きな気持ちになれない。
わたしの中の悪魔。
モヤモヤした正体の掴めないもの。
そのモヤモヤの一つ一つはどうだっていいと思えるようなものなのに、1つを見過ごし、3つを諦め、いつしか、5、10、20、30と蓄積していき、モヤモヤたちは巨大な悪魔になって、自分の中にどーんと鎮座してしまう。
一つ一つは正体がわかっていたはずなのに、それが複数集まると、正体のわからない、圧倒的な負の感情だけを呼び起こす、悪魔に変わる。
悪魔に支配される日々は、本当に最悪な気持ちだ。
ここ最近は、そんな気持ちでずっといた。
悪魔から解放される出口を探そうとしても、全く光が見えない。そして、ますますイライラしていく。
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子育てしていると、その出口を探すのに苦労するのかもしれない。何せ、自分のために使う時間が、もう本当にゼロに等しいから。
常に「しなければいけない何か」に追われて、過ごす日々。
しかも、身を削る思いで毎日必死に育児と家事をこなしていても、誰かに感謝されるわけでもなく、賞賛されるわけでもない。
いや、感謝されたいわけでもないし、賞賛されたいわけでもないよ。子どももかわいいし、幸せもいっぱい味わうよ。
けれども、ふとした時に、虚無感のような寒々とした感情を抱くのは、やっぱり悪魔の仕業なのだろうか。
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そんな最中、うれしいお知らせに驚いた。
coucouさんにわたしの書いた文章をご紹介いただいたのだ。
coucouさんの書く文章は、なぜかいつも、その時、自分が欲している情報だったり、気づきだったり、励ましだったり。
読ませていただいて、はっとさせられることばかりで、楽しく読ませていただいていたのですが、、、
ここへきて、ご紹介いただけるとは・・・!!
しかも、「言葉の天使」と形象いただき、
「天使!?」と、またまたびっくり。
おかげさまで、悪魔からの出口が見えた。
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無理に出口を闇雲に探すことはしないし、今の自分をわたしは否定しない。
「こんなこと思ってしまう自分、最低」
「人として、心が狭い」
そんな声が聞こえてくるけど、基本スルー。
今はそんな自分でもいい、と。
どんな自分でもいい、と。
思えない時もあるんだけど、思おうとする。
それでいいんだ、と。
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何にイライラしていたのか、だんだんと目に映るものがはっきりとし出すようになった。
じゃあ、イライラした時に考え方を変えてみることに。
例えば、片付けてないままのものがあるとする。
→「まただ。次の人のことを考えてくれてもいいのに」
→悪魔「わたしのことなんて、全然大事にしてくれてない」(こうなってた笑)
これをこう変えてみた。
→「心を整えるいい機会。運をもらった!」
大谷選手が他の選手が散らかしたものまで片付けている姿を見て、そういう境地になってみたい、と思って。
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自分が楽になれる考え方を選択すること。
もうすっかり忘れてしまっていたけど、考え方は選択できる。出来事は同じだとしても、自分の考え方次第で、それは幸にも不幸にも変えられる。
要は自分次第。
悪魔に乗っ取られていた時の自分は、自分を苦しめる考え方ばかり選択していた。ほんと、ぞっとする。
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でもね、やっぱり、人生色々。
子育てで忙しくて余裕がなければ、悪魔にも乗っ取られやすいし、体調不良の時には、前向きな考え方を選択しにくくなる。
だから、悪魔が出てきてしまった時には、自分の好きな飲み物でも飲んで、まずはゆっくりしよう〜って思う。
わたしも、今回は、
「もう全部、投げま〜す。
タリーズのコーヒーでも飲みに行こ〜」
って思えてから、ようやく天使のお目覚めが始まった。
どっちの自分も、大切な自分。
でも、選択権は自分にあり。
いつだって、本当は自由なんだよなぁ。
coucouさんのおかげで、戻って来れた気がするよ。本当にありがとうございます。
サポートとそのお気持ちは、創作や家族の居場所づくりのために還元できたらと思ってます。