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66日間の過酷ながらも愛しい日々。

息子が、スースーと寝息を立てるまでの時間。
今日までに至る「66日間」のことを思い返していた。

8月31日。
本日をもって、【#66日ライラン】は終了。

66日間毎日投稿をする。
集まった仲間たちとともに走り続けた日々。



想いはまとまらないまま、書き始めている。
乱文になってしまうが、悪しからず。

正直言って、毎日投稿を続けることは過酷だった。
7月から里帰りでの生活。
出産が近づくにつれ、動くこともままならない身体。
精神的にも正常の状態を保つことがかなり難しかった。
出産後は、待ったなしの新生児+3歳やんちゃ盛りの息子の育児。

とくに、つらかったのは、
・書く意欲がほとんどゼロに等しいところまで落ち込んでしまったこと。
・書く時間を確保しようともできない状態にあること。(現在)


それでも、書き続けた。
苦しんだし、悩んだし、つらかった。
楽しいだけじゃなかった。

けれど、その苦悩があったからこそ、
「書けない理由」に気づけた。
「書ける喜び」を味わえた。

傷つくことや痛みを伴うことは、決してネガティブな結果だけをもたらすのではない。
その傷がだれかの心に寄り添うために必要だったものだと、感じられる日がくるかもしれない。
その痛みが自分の成長のために必要だったものだと、強く思わされる日がくるかもしれない。

だから、この66日間は過酷であったからこそ、さまざまな気づきや学びを得られた日々でもあり、代え難いかけがえのない日々でもあった…
と、今はまだ実感が湧かないけれど、もう少し時が経てば、よりいっそう深く感じられるのだと思う。



わたしだけでなく、この66日間、ライランに参加しているメンバーは、それぞれの立ち位置で葛藤や苦悩をともにしたかもしれない。

中には、
道半ばで毎日投稿を落としてしまった方。
途中でつぶやきで何とか乗り切った方。
時間の都合上、不本意な投稿になった方。

もっとベストを尽くせたはずなのに。
他の方と比べれば自分なんて。

そんなふうな思いを抱かれている方もおられるかもしれない。

けれど、わたしは、どの方も立派に思えてならない。
自分では不本意だと思う投稿だとしても、誰かにとっては胸を打つ投稿になるかもしれなくて…

だから、恥ずべきことじゃない。

いっしょに走れたこと、いっしょに悩んで、ともにがんばれたこと。
間近で感じられたわけではないし、交流を積極的にしたわけではないけれど、遠くでどこかで同じようにがんばっている仲間が同時期にいると思えるだけで、背中を押された。

それぞれが、それぞれの場所で、ベストを尽くしたのだ。
スキの数や、コメント数や、ビュー数など、どうだっていい。
あなたが、あなた自身の言葉で語り、届けようとしたこと。
そのものが素晴らしい。それこそが価値のあることだと思う。



最後に。
ライランに参加されておられない方も、毎日投稿を見てくださり、ありがとうございました。いっしょに楽しんでもらえたのなら嬉しい限りです。

そして、企画者のヤスさん。
ライランメンバーの方。
ほんとうに、ありがとうございました。

過酷とは書きましたが、とても楽しい日々だったことに変わりはありません。

今後のことは、全く未定です。
今日は、この余韻に浸らせてください。
明日からのことは、また明日考えます。

今夜はいい夢を♩

サポートとそのお気持ちは、創作や家族の居場所づくりのために還元できたらと思ってます。