見出し画像

お見送りの幸福感

幸福はその瞬間には、その偉大さ、尊さを十分に感じないまま、するりと通り過ぎてしまうもののように思える。

「あ、もしかしたら、いつの日か、こんな一瞬が幸せだったと思い出す日がくるのかな」

…なんて、そんなことを考えたこともあるが、そういったことは稀で、その瞬間は幸福感に満たされていて、その有り難さなど知るよしもないものだ。

幸福感にはタイムラグがあるのだろうか、わたしにはあるように思える。それか、カイロみたいに持続性で燃焼し続ける感情なのか。幸せな思い出を振り返る時には、ホカホカするから、やっぱり持続度の高い感情なのかもしれない。

ただ、タイムラグを最小限にして「幸福感」を味わうことで、その感情は、増幅される。言葉や表情といった自分の感情を表に出すことで増幅していくこと場合が多いだろうが、感情を内から感じ尽くすことで増幅していく場合もある。

こんなことを、うだうだと書いているのは、まだ幼いおいっこと姉と母が電車の車内から手を振って見送ってくれるそのひとときが、あまりにも幸せだったからだ。

ああ、これを幸福感と呼ぶのだな、とその時、確かに思った。ちゃんと受け取って始めて、「幸福感」を味わえる。
ほぼタイムラグなく受け取ることのできる自分であれた喜び。たったそれだけの一瞬が、わたしには愛おしく感じられた。

人の心には必ず「幸福」と呼ばれる引き出しがある。その引き出しは開けておかないと、ちゃんと受け取れない。そして、ちゃんと、その引き出しに入れてあげないと「幸せだった」と思い出せない。なんとなく、そんなことを考えたのであった。帰り道。

#電車 #エッセイ #見送り


サポートとそのお気持ちは、創作や家族の居場所づくりのために還元できたらと思ってます。