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豪州で日本人が壬生義士伝を読んだ

今回が初めてのNote投稿になります。緊張。ずっと書いてみたいと思っていたし書きたいことは沢山あるのに、トップバッターを飾る題材を決めきれず、、、ずっとnoteを書くぞという気持ちだけ温めてきたのだけど、壬生義士伝という小説を読んで結構な衝撃を受け、色んなことを考えていて、お、これはついに、noteを書くときなのかも。と、やっとこさ重い腰をあげた次第です。


正直壬生義士伝を読破してからかなりの時間が経ってしまったので、あまり細かいことには触れず、とにかく私がどんなことを思ったのか、どんな風に感動したのかをただひたすら書き連ねる感じになると思います。
とりあえず言いたい感想というか感情は、あぁ、日本に生まれて、日本人でよかったなぁ。ということ。オーストラリアにまできて、ここでこれを思うのか私は。となりましたが、これに尽きる、尽きるけど、もっと補足したい、からnoteにしてみようと思う。

1発目の投稿だし気負わず簡潔にと思ったけど無理でした。Note続けたいとは思っているので次はもっと短くします。頑張る。読んでみようと思ってくれている人、ありがとう、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。

まず壬生義士伝について。読んだ人はいらっしゃいますかね?歴史小説の中ではかなり有名なほうだよなと思う。浅田次郎の「壬生義士伝」上下巻。今調べてみると2000年発行とのこと。もうすこし古い小説だと思っていた。

一応どんなものかの紹介として、Amazonの壬生義士伝購入ページに載っている説明文を下記に添付してみます。あ、このノートではネタバレはしないようにしますね。でも話の中身には少し触れる予定ではあります。まあここでは私が思ったことを書くだけなので、あらすじや解説を見たい方はぜひ他のサイトで詳しく見てみてください。前置きがながくなっちゃった。説明添付します。

日本人の「義」とは何か。
小雪舞う一月の夜更け、大坂・南部藩蔵屋敷に、満身創痍の侍がたどり着いた。貧しさから南部藩を脱藩し、壬生浪と呼ばれた新選組に入隊した吉村貫一郎であった。
“人斬り貫一"と恐れられ、妻子への仕送りのため守銭奴と蔑まれても、飢えた者には握り飯を施す男。
「死にたぐねえから人を斬るのす」新選組で、ただひとり庶民の心を失わなかった吉村貫一郎の非業の生涯を描く、浅田次郎版「新選組」。初の時代小説にして、浅田文学の金字塔。

Amazon壬生義士伝販売ページより

という感じ。吉村貫一郎という人物自体は実在していたらしいけど、ここまで詳しく吉村一人にスポットライトをあてて書いたのはこの小説しかないようなので、浅田次郎さんがフィクションを織り交ぜて書いている感じ。新撰組の有名なメンバーたちももちろん出るし、その当時の戦とか飢饉とか藩政についてはリアルなのでれっきとした時代小説。これを読もうと思ったのは、ゴールデンカムイで新撰組に興味をもったから。(単純)


読んだ感想を端的にいうと、本当に素敵であまりにも悲しい物語だった。やるせなくて苦しくてでも温かくて。心が燃えた、悲しさと無力感で灰になったりガチガチに凍ったり、反対に暖かくなったり、デロデロに溶けたりした。忙しかった。いちいち本から顔をあげて現実に戻るときに、心を元にもどすのが大変だった。なかなか戻すことができなくて引きずったりもした。なので読破するまでにありえないほど時間がかかりました。

上巻を読み終えたのはオーストラリアに来る前だったのでもう半年以上前。そこからずっと怖くて、しんどくて、このお話に耐えられる気持ちがもてなくてページがめくれなかったけど、読み始めると一瞬。それほど魅力的ということですね。


この本の構成は、語り手が吉村貫一郎自身のパートと、“聞き手”が吉村貫一郎を知る様々な人物に、彼のことを教えてほしいと頼んで語ってもらうパートに分かれている。
特徴的なのは、吉村貫一郎パート、その他それぞれの語り手パートともにすべてがその時の語り手一人称の話し言葉で物語が進むこと。まぁそれ自体は特段珍しいことではないのだけど、語り手一人一人の話し方の癖がちゃんとあって、その土地の方言や、昔っぽい言い回しが活きているところが私は新鮮に感じた。歴史小説とかってなんとなく客観的に出来事を説明することが多いイメージなので。
だから、影響を受けやすい私は一人一人の言葉にガツンと大きく感情を揺さぶられてしまって、この小説のことがこんなにも好きになってしまったのだと思う。


そして、この「語り」という部分に私が思った「日本人で、日本に生まれてよかった。」という感想との関わりがあるのだ。

「おもさげなござんす」(おもさげながんす、とも)という言葉が小説の中でよく使われている。皆さんはこれがどういう意味の言葉なのか推測できたり知っていたりするだろうか?
この言葉が一番最初に出てきた部分をすこし引用させていただく。

「早ぐ春になればよがんすなっす。こんたなときにお見送りいただきあんして、おもさげなござんす」送る側も送られる側も、つらい対話でありましたな。
そのころの私たちは、「 おもさげなござんす」という言葉がすっかり口癖のようになっておりました。「申しわけない」 という意味であります。いったい何が申しわけないのか、誰に対して申しわけないのか、 ともかく二言目には「おもさげなござんす」、「おもさげながんした」、「おもさげねなはん」と、頭を下げ続けていたような気がいたします。
禄を失い、矜りを失い、死場所を得ずに生き永らえてしまった武士たちに残された言葉は、それだけだったのでしょうか。

浅田 次郎. 壬生義士伝(下) (p.67). 文藝春秋. Kindle 版.

ということで「おもさげなござんす」は、南部弁で「申し訳ない」の意味らしい。
読まずともなんとなくの意味を予想できた人も、前後の文脈と意味を知らないとどういう言葉か推測ができなかったという人もいるだろう。でも、たとえこの言葉が自分になじみのないものだったとしても、1回意味を知ればこの言葉が日本語として、そこまで引っかかることなく頭に入ってくるのではないだろうか。
すくなくとも私はそうで、次に「おもさげなござんす」が登場したとき、それはもう私に身近な言葉としてインプットされていて、彼らがこの言葉を発しなければいけない状況にやるせなさを感じていた。

この、知らなかったことばを身近なものとして受け入れる早さは、日本語話者である私が、日本語の本を読んだから発揮されたものだと私は思う。
壬生義士伝の英訳などがあるか私は知らないが、もしこの小説を海外の言葉に翻訳したとしても、この方言やニュアンスなどのすべてを伝えるきることは不可能ではないだろうか。

私たちは文章の言葉尻の細かいニュアンスや言葉の堅さ柔らかさを都度拾い、その温度感、口調から想像できる人物像などを、感覚的かつ経験に基づいた認識力で知らず知らずのうちに判断していると思う。これは私たちが生まれてからずっと日本語に触れてきたから自然に培われた特権的な力なのであって、それを一朝一夕でものにしようったって無理があるのだ。
(いや、もちろんこの世界にはバイリンガルとかトリリンガルとかそういった方も沢山いらっしゃって、その方たちの感覚は私にはわからないので、あくまでも私個人の感覚として、ということになるけれど。)

そしてそれはつまり、''日本語話者であるから日本語の本を完璧に近い形で読むことができる''という特権は、''日本語に翻訳済みの外国語の本から私たちが拾える情報がその本の元々の言語の話者が拾えた情報とくらべて減少してしまう''という問題にもなり得、それぞれ表裏一体である、といえるのではないだろうか。
元々の自然な言葉達が翻訳を挟むことによって日本の言葉に、日本の表現に変換され、元々の言語が持っていた独自の表現が薄れてしまう、という感じだ。だから結局私は、いろんなところで損をしているんだろうなぁと悔しい気持ちにもなったりする。

とはいえ海外の本を翻訳してくれた翻訳家がいるからこそ日本語で本が読めることにまず最初に感謝することは大前提だが、小説の中で素晴らしい表現に出会ったとき、これが元の言語で、作者が書いたそのままの言葉で読めたらなぁと感じてしまうのだ。きっと登場人物ごとに口調が変わったり、その当時のはやり言葉だったりもちりばめられていたりするかもしれない、それに私は気づけていないかもしれない。素敵な表現たちを知らないまま読み終わってしまったのかもしれない。と。


そしてこの、海外の本をネイティブと同じような土俵で読めていないかもしれないという心配は、言葉のニュアンスや表現だけにとどまらず、読書中に頭の中に浮かぶ情景がうまくハマらない、みたいな問題にも関わってくると最近気づいてしまった。別にこれは私だけかもしれないけれど、私にとっては重大な問題だ。

例を挙げると、一年前に読んだアルベール・カミュ著の「ペスト」(1947)。これは当時フランスの植民地だったアルジェリアのオランという町が舞台だが、私はフランスにもアルジェリアにも行ったことがないし、古い時代のことなんかますますわからない。だから、情景がうまく想像できない。しかたなく行ったことのあるイタリアの町並みを当てはめてはみるけれど、「この路地の何番目の角を曲がると開けた○○広場で~」などといわれても、やはりイタリアにもそこまでのなじみはないので、うまくいかない。情景がうまくはまらないのだ。たとえそのとき“仮”として思い浮かべている景色が実際にはハマっていて、正解で、正確だったとしても、自分の中で知らない町だ、と認識して不安になり、想像してみた情景が物語になじまない、しっくりこないのである。それはもう、頭の中で情景を思い浮かべて本を読むという行為は失敗した、ということになってしまうだろう。

そうやって私の知識と経験に基づく想像力が乏しいために読書の楽しみが半減されてしまったのだ。もちろんどれだけ古い作品でも、どの時代にも受け入れられる読みの許容の範囲の広さが優れた文学作品にはあって、それが風化しない主張や魅力を伝えてくれるのだが、その国の景色をずっとみてきたその国の人ならきっともっと鮮明に、頭の中に情景を思い浮かべることができているのではないか、もっとその本はわたしが感じたより魅力的なのに、私は気づいていないのかも知れない。と思ってしまう。(その点ファンタジーは正解がないので完全に自由に、自分の好きなように想像できる、してもいいと思えるのでその点でも好きだが、子供の頃の方がその想像力の豊かさは勝っていると感じる。この話はきりが無いのでここではやめておくけれど。)


そんな、「かもしれない」を無くすには、私はその国の言葉と文化に染まらなければならないと思う。言葉を理解できるようになっただけではだめだ。その国の人にならなければいけないと思う。歴史も考え方もすべて。できないことではない。きっとそんな人は沢山いるだろう。その国で死ぬまで暮らしたらいやでも染まって、死ぬ前にもう一度、今読むと消化不良の「かもしれない」が多いその国の本を読んだらめちゃくちゃ感動するかもしれない。いろんなことに気づけるかもしれない。そんな、日本語の本も日本人として楽しめて、あともう2,3カ国の言葉を完全マスターして読書も完璧に楽しめる天才の方々は、いる。し、誰だって不可能ではないだろう。

もっと現実的に考えれば、日本語と他の言語両方はできずとも、一つ日本語以外の言語をこれからの人生をかけて学べばきっと完璧に近く理解することはだれでも可能だと思う。
でも、これだけ語っておいてなんだが、今のところ私はあまりそれを望まない。
海外の本を読んで、もっと理解したいと思うことはよくあるが、それよりも、日本語の本を日本語で理解できる喜びが桁違いに大きいからだ。こんなに素敵なことばたちをこんなに直接的にダイレクトに受け取ることができる、というよろこびが何より大きいのだ。それを差し置いて他の言語に重点を置く時間と気力は私には無く、そうするぐらいなら、もっともっと、日本語を知りたい。日本を知りたいと思ってしまったのだ。一番身近で、一番予備知識があって、日本語を学び始めた他言語話者よりも確実に日本語について知っているから、こんなに素敵な日本文学に出会えているし、日本語がわかる人間でよかったと心から思うのだ。

「ペスト」の町並みは想像できなかった私だけれど、「壬生義士伝」の150年以上前の盛岡の景色は想像できるのだ。青森にまだ行ったことがなくて、そのころ生まれてもなかった私が、盛岡の景色を頭の中で思い描くことができる。

「南部盛岡は日本一の美しい国でござんす。西に岩手山がそびえ、東には早池峰。北には姫神山。城下を流れる中津川は北上川に合わさって豊かな流れになり申す。春には花が咲き乱れ、夏は緑、秋には紅葉。冬ともなりゃあ、真綿のごとき雪こに、すっぽりとくるまれるのでござんす」

浅田 次郎. 壬生義士伝(下) (p.67). 文藝春秋. Kindle 版.

あぁ素敵だ、きれいだ。この素敵な文章をきれいだと思えることが本当にうれしい。これは私が日本で暮らし、いろんな景色をみて、すこしの歴史を学んできた24年間の賜だ。でももっと歴史について、場所について、言葉について、人について知れば、もっともっと明瞭に鮮明に「壬生義士伝」が読めるかも知れない。もっと楽しめるかも知れない。だって私はまだ何も知らない未熟な若者だから。

 死ぬまでにいろんなことを知っていきたいと思う。知識欲って大事だ、ひとつの生きる理由になり得るから。
世界には自分の知らないことが、100年かけても絶対に知りきれないほど沢山ある。だから私はまずは日本から知っていくことを始めたい。

本当に、こんなに簡単に日本のことを学ぶことができる立場でよかった。世界の中でも割と難しいといわれる日本語が母国語で、長い歴史と文化のある国に生まれて、そして自分が好きだと思ったものが自分の国のものであって最強にラッキーだった。だって一番楽に知ることができるから。一番簡単にわからないことも理解できるから。だから、日本に生まれて、日本人でよかったと心の底から思ったのだ。

これは私の小さな決意表明でもある。これから先も日本語と向き合って、まだ知らない本を沢山読んでいきたい。もちろん芸術って色んなところでつながっているから、ひょんなことから海外文学にのめり込むことだってあるかもしれない。日本から始まってどこにいくかはまだわからない。あぁ、人生ってなんて素晴らしいのでしょう!!!!これからも、新しい本に出会うたび、壬生義士伝で感じたようなでっかい衝撃と暖かさ、満足感も喪失感も、全部味わえるかもしれない可能性を無限に秘めている私の人生。本、じゃなくても漫画でも映画でも音楽でもなんでも、まだ出会っていない作品が山ほどある私の人生。それを考えるだけで満ち足りるし、叫びだしたいぐらい幸せで、わくわくなのだ。


そして、こんな気持ちを想起させて、文章にしたいと思わせてくれた壬生義士伝はやっぱり私の中でかなりヒットした文学作品だ。別にこの小説が完璧で世界一だとも、全員が読むべきだとも思わないが、私はとても好きなのだ。
このnoteを書くにあたって、Kindle版壬生義士伝の自分がハイライトを引いていたところ中心に読み返したのだけど、いいところがいっぱいすぎて書き切れないという月並みの感想しかでてこず、本当に、どの部分を読み返してもいちいち、何度も感動してしまった。
時代の流れがそのままその人の人生に大きく関わってきた時代、決められた運命の中でどう生きるか、武士とは何か、戦とは、人を殺す自分とは、を考えて悩みながら、妻子のためにすべてをかけて戦った人の物語。それを読んで私が感じた感動ってどんな種類のものなんだろう、具体的にどこに感動しているんだろう、なにがそんなに魅力的なんだろう。考え出したらきりが無い。書き出そうとするといっそうきりが無い。

今よりも簡単に人が死に、死が身近だった時代。その時代を生きる人々の命の価値は今より低いのだろうか。その時代と私たちの時代の生きているという感覚ってどんな違いがあるのだろう。でも反対に、同じ人間として普遍的な愛とか希望とか生きたいと思う執着とかそういうのは変わらないはずで。
いまとは全く違う生き方で、全く違う生活で、価値感も、大切なものの優先順位も全然ちがったかもしれない時代で、変わらない人間的な考え方とか、人に対する優しさとか、今と同じ生きる指針をもった人たちがいて、その人たちが命を繋いでくれたから今の世界があって私がいるってことで。それって、一言で簡単に言うと、ロマンだなって。あ~生きててよかった。ご先祖様、みんな、ありがとうって素直に単純に思えてしまう。

変わっていく時代で、変わらないものがあってよかった。違う時代の物語にも心打たれる感性が変わらず私にあってよかった。色々と便利になって死が身近じゃなくなった気がして、生きてる感覚が希薄に感じるこの時代でも、変わらず侍たちの生き様死に様を綴った小説が人気な世の中、捨てたもんじゃないなぁって思わせてくれる。その侍たちの生き様から得られたものを実際に生かせるかはわからないけれど、でも読む前と読んだ後じゃきっと私なかのどこかはちっさくても変わったと信じている。そんな、読後の、爽やかな気持ち。


さて、結局、壬生義士伝について書くと言いながら、なんやかんやで自分語りがほとんどを占めてしまったけれど、兎にも角にも一番言いたかったことは言い終えた感があるし、さすがにここら辺でやめようと思います。鬼のように長くなってしまいました。文章を書くってこんんなに難しいんですね、、、これ書いてるとき、小学校の読書感想文とかどんな風に書いてたっけ?って思い出していたけどもう忘れた。次は何度も同じ内容を繰り返し書いてしまわないように、簡潔にを心がけます。

とりあえず!日本って素敵やん?知らないことが沢山あるってこれから素敵に出会える可能性無限大で最高やん?侍ってかっこええやん?うちらもそれ参考にできると思う?歴史ってロマンやべえよな?てか生きてるって最高じゃね?っていう私の気持ち伝わったでしょうか???つたわってたらうれしいです。

次回は趣向を変えて、オーストラリアのこととか書こうかなと思ったり。また読んだ本とかアニメの感想も書きたいなと思ってるものもあるのですが。何にせよ、また次回、絶対また次回がある事をここに宣言します、頑張って書くぞ〜

ご精読、大変ありがとうございました。ではまた。

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