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土偶図鑑は恩返し

前回のnoteを書いて2日後、訃報が届きました。

山梨県で文化財行政に関わっていらっしゃった方の早すぎる訃報でした。

知らせを聞き、わたしは電話口で号泣しました。

なぜなら、その方が時間をかけて山梨長野の土偶を選定し、

土偶図鑑の資料としてわたしに託して下さっていたのです。

土偶図鑑を作ると決まった2018年。

各地方の先生方に協力をお願いしました。

この協力要請はさまざまな事情によりかなり難航しました。

版元に対して苦言もあったそうです。

土偶を親しみやすいものにすること、まかりならん。

アカデミックな姿勢を崩すこと、まかりならん。

もう、本当にいろんなことがありました。

いろんなこと(あまりいいことではない)をあちこちで言われていることも知っています。不思議なことに、耳に入ってきちゃうw

悩んで苦しんで、立ち止まった土偶図鑑。

でも、もう、そんな陰で言われていることや、

学者が「格調高く考古学を扱え」という言葉は一旦脇に置いて、

とにかく、土偶を信じて、その魅力を知ってもらうためだけに、邁進していこう。

それが、Iさんに対してわたしができること。

Iさんは言ってくれました。

「他の人はいろいろと言うかもしれないけれど、

僕はこんださんが書くことがおもしろいと思ってるよ。

おもしろいの作ってよ。

ただ、足りない部分もあるから、それは僕の方で選んであるから」

この件で唯一と言っていい理解者でした。

だから、訃報に触れた時、泣き崩れたのです。

分厚い資料を預かったままにしてしまった。あんなに応援してくださっていたのに、完成本をお見せすることなく、天にかえっていかれた。

わたしの職務怠慢だ。すべての責任はわたしにある。

なんとしても完成させたい。いや、させなければならない。

誰も見たことがない土偶図鑑を。

それが、Iさんへの恩返しだと思っています。

そして、その本が、土偶、そして考古学に出会う人たちの

新しい世界の扉になるように。

ここに記しておきます。



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