統合失調症の幻図鑑1

19歳のころ、発症しはじめに大学のジャズ研の合宿に参加した。

1日目の幻が思い出され、苦しいので書こうと思うが、最終日に典型的な症状が出ていたので、先に書いておく。

ジャズの発表会があった。それが起こったのはドラムをたたく力が強い先輩の編成の発表の時である。シンバルが叩かれるたびに、僕の頭に、「バカだ」と音声が入ってきて、激しく身が割かれる気持ちを体験した。楽曲の途中で相当苦痛で逃げたくなったが、みんな大人しく聴いているので、「バカだ」というシンバルを100回くらい食らった。

撤収の時に、「天皇は心臓がない」という聞き間違いもした。

恐ろしい。

そして、練習ちゅう恐ろしかったのが、「音を出す」という行動が、死んだ霊魂を打ち砕くという幻覚を見た。キーボードの先輩が足を動かすと、痛めつけられた頭がベルトコンベアのように先輩の足の横に並んでいて、先輩が身をよじるたびに頭が1個1個流れてきて、音の洗礼を浴びる。

医療系総合大学だったからか、霊魂に働きかけるのかなどとぼんやり思っていたが、音楽をやっているのに、片手間に成仏を手伝えるはずがない。

霊魂を練習台に霊魂をいたずらに傷つけているように見えた。

ギターの男子がおれはジャズ研に残ると言っていたが、その彼が窓際で座っているのを見ていたら、窓に映る姿がしわくちゃに見えた。

まあ、メチャクチャである。今考えると入院ものの幻覚である。

こうやって、心に恐怖が埋め込まれてきたんだな、と振り返るばかりである。


それから7年後くらいだが、ジャズからは離れていたが、憧れが抜けず、治療も受けていたので少し大胆になって、SNSで活動しているジャズシンガーのライブをバーに見に行った。

その前に家族がチケットをとった銀座のスイートベージルだったろうか、そちらで熱帯なんたら楽団も見ていたが、暗闇でニヤリと笑うジャズシンガーが怖かった。

バーのほうでも、「悪いことしようよ」みたいな目配せがあって、一気に怖くなった。ホールでビールを飲んでいたが、恐くなって階段近くに行ってタバコを吸った。ジャズは怖いと思ってしまった。

ちなみに、30代に入ってからアパートの近くにあったカラオケスナックみたいなところであったジャズセッションでは大丈夫だった。ブルースもどきに付き合ってもらったが、芸大レベルの演奏者のどさまわりだったらしく、バンドマスターに「ジャズをもっと勉強してから来てね」と言われた苦い思い出である。

聖蹟桜ヶ丘のブルースバーでは、おばちゃまが面白がってくれた。

それにしても、演奏で変わったことをやるとき、メンバーに合図するのはわかる。フツーの人はこれをみて、「何!?」とか思うんだろうか。敏感過ぎるのか、実際恐い顔なのかはいまだに謎。

まあ、暗闇の中でニヤリとしたら凄味はありそう。でも、どうなのかな。

聞き専の玄人は、待ってました!と思うのだろうが、ちょっとそうはなれないかな、数年は・・・50、60歳になったら穏やかな気持ちでジャズを聴いてみたいので、ちょっと聞くのは続けようと思う。

それにアーティストって凄味あったりしますしね。肝を鍛えようと思います。

医学部はやめてよかった。外科に数か月研修とか自殺してたと思う。

1週間でも相当コワかった。オペ室では腕を上げても下げてもいけないんですよ。3時間くらいなんとかしてたら、教授が手が下がってるのに気づいて、全部脱いで手洗いしてこいって言われて、焦って手を戻したら機械に触っちゃって、頭もぶつけて、頭冷やしてこいって言われて、次の日は図書館で勉強してた。

むり。

思い出すだけで背筋がぞわっとする。

お願いまでして勉強することはできないわ。

なんで内科、外科必修になったんだろう。皮膚科とか細菌学でよかったのに。

資格だけ取って、健診の手伝いだけで暮らせるからって、月25日ニートしてる医者もいるって言われたけど、なんなの?なんかの意味あるの?腐りすぎでしょ。願い下げだよ。

勉強したことを専門性として、活かせばいいって、保健師を途中で辞めた方が言ってました。その方はブックオフの特別子会社(障碍者をほとんど配置した会社で、親会社の障碍者雇用率に算定できる)で働こうとしてるらしい。

ぼくも見習いたい。資格に踊らされて死を考える毎日。

人間としては生きてるのかな?ひどい仕組みだぜ。

サポートはインプットのための読書や交通費に使わさせていただきます!