心に留めること

大人になって、

聖書の、「マリアはそのことを胸に留め、思いめぐらした」というような、

大事件を胸に留めることを美徳とする考えを知った。

思えば、幼少期からみんなの前で発言することを勇気のあることとする教育を受けてきたし、聖書でも預言者だけは最後まで主張を曲げなかった。

勇壮に発言することを美徳とする方が強かったが、

心に留める美徳も、十分わかる。

心に貯めすぎてうつになることもあるらしいから、うまく吐き出すことも必要だろうが、

ツイッターなどをみると、言う事もないのに発言している人や、発言するために発言している人がある。

もちろんジャーナリズムやアートは表現なので、見てもらうことも必要だし、発言することも必要なこともたくさんあると思う。

しかし、心に留める、ということも大切なんだろうなと思う夕方でした。

聖書を例に出しましたが、イエスも勇壮に発言していますが、

こう言えば助かるのに、とかここでなんで答えないんだろうという場面があります。思いもよらない配慮をしていたのかもしれません。

エリ・エリ・レマ・サバクタニ(主よ私を見捨てたもうか)と十字架上で叫んだのを敗北ととる人もいますが、

十字架上での叫びは旧約聖書からの引用であり、

エリ~のくだりも、窮地に神を賛美するくだりに該当している、

書き残した人たちには書き出しだけで旧約聖書とわかるので、そこだけ書いたのだろうと、遠藤周作が「イエスの生涯」に書いておりました。


いやいや、日本ではキリスト教徒が少ないですよね。

遠藤周作も、「侍」か何かの中で、

「日本は、キリスト教を木に例えると、育つことが難しい沼地だ」と神父が言うシーンもあります。

難しいですね。

知恵の種になればと思います。

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