ふしぎと思うこと。
こどもは不思議に思うと、目を輝かせて「なんで??」と親や先生に聞く。
大人になると、「自分で調べてください」「何でも聞くな」なんて言われたりで、不思議に思うこと自体、わるいことのようである。
しかし、不思議に思うことって、神様へ目が向くチャンスではないかと思ったのです。
よくわからないことが気になって、気落ちしちゃうこともあるけど、
「不思議だなぁ、なんでこうなるんですか?」と神様に聞いてみたら、気にすることじゃないと気づいたり、あーこういうことかと。
神様ってそのベクトルなのかなぁと思いました。
あんまり不思議だと誰かに聞いたほうがいいかもしれないし、教えてくれる、わかることもあるかもしれない。
でも、答えがないとわかっていることを「なぜ?」と思ったことはありませんか?そんなとき、ぼくは神様に自分が向かっているのかなぁと思うと、
ちょっと安心します。洗礼受けてないけど、神様に期待したいので。
聖書に「なんでも期待しなさい」なんてあります。
利己的なことを願うかもしれない。でも、違う形でかなえられるのかもしれない。
そんなことを、小田彰牧師のCDを聞いていて思いました。
父の職場に小田牧師は出入りしていたので、17年間も毎月、CDが届いています。お代をいつか払えるようになりたい。収めてないのに、御縁と送り続けてくださっています。
いや、ありがたい。
教会に属していないので、CDで説教を聞けるのは貴重なんですよね。
神、謎の概念ですが、謎が生まれるからこそ、神を人間は求めたのかもしれません。
さまざまな人の苦しみを思うと気が重くなることもありましたが、
今日、それらが晴らされるイメージに、イメージだけでもしようと思いました。上手に神に委ねられていくような気がしました。
あなたの心も晴れることを願いたいです。
ご拝読ありがとうございます。
良き日々を。
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