12.常識の非常識についてー京都の水路閣ー
常識と非常識について
常識(Common sense)とは「誰でも知っているありふれたこと」の意味で、広辞苑によれば「良識、社会通念、一般知識」と解釈されている。この常識は人が社会において生きるための重要な知識であるが、個々人によって必ずしも一致してはいない。
往々にして、『自分にとっての常識は他人にとっての非常識』でもある。この常識は様々な主体(世界、国、地域社会、企業、学校、家庭など)において存在し、取り巻く環境と時間により変化する。例えば、企業であればその企業の中だけで通じる常識が存在し、その常識は事業環境と時間経過により変化する。
一方、非常識(Lack of common sense)とは「常識に外れていること、常識のないこと」の意味であり、「思慮に欠けた、ばかげた」など少し悪い意味で使われることが多い。
人は過去の成功体験に基づいて常識を作り出す。また、過去の失敗体験は非常識として認識されるが、常識ではないもの(常識から外れたもの)をも非常識と考えがちである。
人が社会で生きるためには失敗しないこと、同じ失敗を繰り返さないことが重要である。そのためには常識を外してはならない。すなわち、過去の成功体験に沿って行動することが基本となる。
脱常識をめざすには
それでは「常識のみを追求すれば成功するのであろうか?」
大きな失敗はしないが、以前の成功体験の繰り返しでは新味がなく、環境変化と時間経過により以前の成功体験が通用しない場合もある。そもそも、二番煎じの域を出ないため、創造的思考による成長・発展は見込めない。
社会が様々な意味で拡大・膨張し続けている現状では、創造的な成長・発展がないと成功はありえない。人が真に成功するためには、目標達成に向けて新しい道を試してみる必要がある。脱常識(De-common sense)の道を模索することが重要な意味を持つ。
英国の科学者ウィリアム・ヒューウェルの名言「失敗は成功のもと(Every failure is a step to success)」のように、失敗しても原因を見極めて反省し、同じ失敗を繰り返さないよう心掛ければ成功への道は開かれる。
脱常識の道は、その道の常識と非常識を見極めた専門家との議論の過程で出てくる新しいアイデアが大きなヒントになる。「虎穴に入らずんば虎子を得ず(High risk, high return)」、何ごとも、危険を冒さなければ真の成功を収めることは出来ない。
京都と大津をつなぐ琵琶湖疎水事業
明治維新による東京遷都で人口が1/3に減少した京都では、危機感を抱いた京都府知事の北垣国道の発案により、1885年(明治18年)に「琵琶湖疎水事業」が開始された。
工事を担当したのは田辺朔郎で、1885年(明治23年)に第1疎水が完成し、翌年には日本初の蹴上水力発電所が稼働した。その後、電力需要の増加により、1912年(明治45年)には第2疎水が開通した。
第1疎水は、大津の取水口から第1~3トンネルを抜けて蹴上船溜まで3618m、途中で蹴上インクライン(距離:582m、高低差:36m)を挟み、南禅寺船溜から鴨川に至るまで1810mある。
鴨川運河は、伏見区堀詰町までの総延長8945mで、宇治川、淀川を経て大阪までの舟運を目的に開削された。また、疎水分線は沿線への水力利用、かんがい用水、防火用水を供給する目的であった。
京都には北に向かって流れる川がある!
京都では川は南に向かって流れるとばかり思っていたが、自分だけの常識であったのか?哲学者の西田幾多郎が思索にふけった「哲学の道」沿いに流れている川は北に向かって流れている。しかし、この川は「川ではなく疎水分線」ということで妙に納得した。
ところで、日本のアーチ橋には中国から沖縄を経て九州に広がった石造りアーチ橋のほかに、欧州から直接に伝えられた煉瓦積みアーチ橋がある。
南禅寺境内にある水路閣は、琵琶湖疎水事業の一環で建造された。橋長:93.17m、全幅:4.06m、水路幅:2.42m、高さ:約9mの煉瓦積みの14連アーチ橋である。
水路閣は、直方体の煉瓦を横列に積み上げたブロック型であることから、まさに欧州から技術導入された煉瓦積みアーチ橋であることが分かる。
琵琶湖疎水事業の工事では、欧米から様々な技術の導入が進められた。水路閣で採用された煉瓦積みアーチ構造は、疎水事業に関連する浄水場など多くの建物や水路トンネルにも採用された。
京都市営地下鉄東西線の御陵駅付近には、琵琶湖疎水レンガ工場跡の石碑が残されている。また、第1疎水の第3トンネル東口にある橋長:約7.2m、全幅:1.5mの人道橋は、1903年(明治36年)に建造された日本で最初に造られた鉄筋コンクリート橋である。
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