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青春のバンドRADWIMPSが、大人になった私の心にまたナイフを刺してきた

記事は旬なものを出すのがいいと思いつつ、ショッキングな曲に出会ってずっと考えてしまっているので、今日はディズニーの日はお休みです。(早い)
おーおーこじらせてんなぁ、と思うかもしれませんが、ざわざわが止まらないので書きます。

RADWIMPSの洗脳という曲。
私は昔からRADWIMPSのファンだったんですが、すっごく売れたし、なんだよ、みたいな、古株アピールみたいな気持ちもあって離れちゃったんですよね。本当にこういうとこ直らないわー。。。

サブスクで聴けるようになって、昔の曲にも触れて、やっぱりいいよねと思ったりしながら過ごしていたんですが、たまたま今日「サイハテアイニ」のシングルが表示されていて、ジャケットも見たことなかったしタイトルも全然知らなかったこともあって、聴いてみることにしました。

なんていうか。すごい不気味な曲なんです。タイトルの通り、「洗脳」についての歌なの。淡々と読み上げる歌詞のところは言葉遣いも不気味だし、ちょっともう一人じゃ聴けないかもしれないっていうくらい、私の中に怖い気持ちが植え付けられた曲です。1回しか聴いてないのにトラウマになりそう。

幸せになってくれたらいいのよと言ってたお母さんが、「どうしてこんなことになったの!?あなたは病気なのよきっと!」と泣きながら訴えるんだけど、
「なんで僕が病気なわけ?幸せになれって言ったじゃん、幸せだよハッピーハッピー」
って返したり、「あなた」を悪くいう人はみんな敵だからお母さんも敵、みたいな歌詞だったりして、ちょっと書くだけでも結構「ひっ」ってなる。

なんでこんなに胸がざわざわするかって理由もなんとなくわかっていて、
私は同じような経験があります。「病気なんじゃない?」っていう側。
そして友人に言われた言葉も忘れません。
「病気でも病気じゃなくても、本人の気持ちに寄り添ってあげてほしいよ」

そんなことはわかってる。どんなあなたでもいいよ、って言えるなら言ってあげたい。
でも、近くなればなるほど、「幸せに」の前に「普通の」という言葉が付いて回って、祈りはやがて押し付けに変わっていく。
自分の頭や心の中で理解できる範囲の「幸せ」を祈りたくなってしまうんです。

きっと私はこのことをずっと悩んでいくのだろうと思っています。

私の青春アルバムの1枚

少し話は逸れちゃうけど、ボーカルの野田さん、最近ちょっと炎上してました。良い遺伝子を残すべき、みたいな趣旨のことを結構ライトに言っちゃったから。
RADWIMPSの曲には思いっきり陰と陽に分けられる曲があります。表現しているものを見ていると、まあそういうこと言っちゃうのも結構納得、って部分もあります。(他人巻き込むのはあんまり良い表現とは言えなかったかもしれない)

私はグレーを探しがちです。何が正しいのか、間違っているのか、そもそも答えなんてないのだから、「難しいよね」「なんともいえないよね」という言葉でグレーを表しがちです。
それは、行動も同じ。そうやってバランスを取っている。
だけど本当は感じています。白も黒も知った人だけが、本当のグレーにたどり着くんじゃないかっていうこと。

少しでも間違えれば、白か黒だけの世界に居座ってしまうかもしれない。
黒には白を、白には黒を掲げてそれを正義と呼ぶかもしれない。
でも、あるとき、白黒つけられなくなって、自分がどこかで「間違えた」と気がつくと、白の日も黒の日も、グレーの日もあることを感じます。
そしてそういう人は、白も、黒も、グレーも使い分けられる。
本当はそれがバランスってことなんじゃないかなって思ってるんです。

少し前に読んだ本に、「おせっかいと親切の境はどこか」という話が書かれていました。
その本には、「おせっかいをしているうちに、親切とのちょうど良い境がわかってくる。おせっかいかも、と思ってやらないでいると、ずっと境目はわからない」
ああ。そうだったな。「やらない善よりやる偽善」とかも似てるな。
昔はもう少しそういう気持ちで動けていたな。

生きているうちに「これが全員の正解である」ということは多分一つもないんだろうと思います。感情だけで言えば、善悪を感じることはたくさんあるけど、ただただ「許せない」っていう気持ちの時は、自分の中の想像を逸脱している「悪」の時なのかもしれない。
いろんな経験をすればするだけ、善か悪か、やるのかやらないのか、どっちが正解なのか、そういうのが見えなくなっていく。
こんなことばっかり常に考えてたら、そりゃどっちかに偏っちゃうときもあるよな。とか考えてみたり、そもそも偏ったものの影響が大きい人もいるんだよなと思ってみたり。

だから、「感じたら、考える」を繰り返して、自分の中でいつも良いと思った方を試して、反省会をする。心のPDCA回していかなくちゃいけないのかもしれないです。
ちょー大変。そんなことばっかりしてたら疲れてしまうよ。。お仕事より大変なPDCA。

自分の近い人だけが理解者じゃない。遠くても大切な人、たまに話すと楽になる人、嫌いなはずなのに気になる人、はたまた、まったく関係のない人。
いろんな声が必要です。知らない世界のことを知っている人から聞くこと。

この手の話、最近増えてきたような気がします。
週末みていた「3年A組」も趣旨としてはそんな感じだと思ってみてました。
技術が発展しても、心は置いてけぼり。毎日毎日ついていくのに必死で、どんどん世の中だけが先へ進んでいく。
だからもっと考える時間がほしい。新しい世界のこと。
そういう機会が、自分の子供にも増えてほしい。
無責任に幸せを願うだけじゃ、幸せじゃないと感じた時に私は同じことを繰り返してしまいそうだから。

失敗しても良いんだよって言いがちだけど、その後のフォローの仕方、私はあんまり知りません。
だけど私には、RADWIMPSの陰と陽みたいな音楽があったから、こういうことをずっと考えてきたんだろうと思っています。
世界にはいろんな音楽や本や、映像がある。
答えのないものをたくさん感じて、考えられる材料がたっくさんあるから、
これからもちゃんと追って五感をフル回転していたい。
そしてこういうざわざわやモヤモヤを話せる場が増えたら良いなと思っています。

今日の私のトラウマになりそうなざわざわを、ドキドキしながら外へ放り出すことにしたらスッキリしました。
陰プレイリスト作りたかったけど、病みそうだったからやめておきます。
陽プレイリストを置いておくので、これはこれで「愛してるぜー!!いぇーい!」ぐらいのお気楽テンションになりたい時に是非!!!(洋の字は「洋次郎」とかけちゃいました。。。面白くないっ!!!)


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