プレゼンテーション1

これは私がおでんを育てることになった話なんですけど、これって普通なんですか?

これは大体嘘の話です。

2020年1月16日(木)
 一人暮らしをしていると耐え難い欲求というものが突如としてわいてくることがある。今日がその日だった。
私は「おでん食べたい」と言いながら木曜日の夜にダンスを踊っていた。
果たしてそれをダンスと呼べるものなのかは正直微妙なところではあったが、リズムに合わせて手と足をバタつかせていたので私はこれをダンスと呼ぶとする。
「おでん食べたい」
壁の薄さに定評のあるマンションに住んでいたが、そんなことを今は気にしている場合ではない。
「おでん食べたい」
 家から徒歩十分以内の場所にコンビニがあるがそういう問題ではない。
「おでん食べたい」
 三日前に作った野菜と肉のごった煮がまだ残っているから買いにいけないのである。
「おでん食べたい」
 食べても現状なにもいいこと起こらないけどなにかいいこと起こりそうな気がする。
「おでん食べたい」
 そういうわけで私は踊っていた。踊りを踊って欲求を消化させていたのである。

2020年1月17日(金)
 私は仕事終わりに、コンビニに駆け込んでおでんを買った。大根、こんにゃく、牛すじ、もち巾着を買った。もちろん汁多めである。
 そうして家についた。はやくおでんが食べたい。
 扉を開けて靴を適当に脱いで、服を着替えないでそのままリビングにあるテーブルの椅子に腰を下ろした。
 プラスチックでできたおでんの容器はほかほかで私が食べるのをいまかいまかと待っているようだった。
 コンビニの袋から箸を取り出し、パキリと左右に割る。右手に箸を持ち、左でプラスチックの容器を開ける。開けた瞬間に立ち込める湯気を鼻が自然と吸い込む。この香り、待っていました。
 やはり踊りなんかじゃこの気持ちは消化できない。そう思って、さっそく箸を大根にめがけて動かしたところでチャイムがなった。
ピーーンポーーン
宅配便だろうか?だがしかし特になにも注文していない。なんらかの勧誘だろうか?いやこの夜にか?
 私はおでんを食べるのに忙しいのだ。そう思いつつもなにかあるかもしれないと思い、箸を片手に持ったままインターフォンを覗いた。
インターフォンには真向いの家に住んでいるおばあさんがいた。
 顔見知りというだけでありいままでまともに会話なんてしたこともない。挨拶もしたことがない。一体全体何の用事だろうか。
 インターフォンのボタンを押し「通話状態」にする
「はい」
自分で聞いていても不愛想な声を出す。しょうがない、こちとら仕事終わりだしなによりも念願のおでんタイムなのである。
「こんばんは~」
おばあさんは私に向かってにっこりと見覚えのある笑顔でほほ笑んだ。だがしかし、その笑顔を今、この時間帯に向けられる原因が見当たらない。
「えーっと……」
すぐに扉を開けることはせず、私はインターフォン越しで会話をした。
「昨日「おでん食べたい」って聞こえたような気がしたんですけど……。」
おばあさんのその言葉に私はあわてて箸をテーブルに置いて、扉を開けた。なんだかわからないが、聞かれては困るものをどうやら聞かれていたようである。
「ちょっとまっててくださいね。」
これは間違いなく、一人暮らしをして初のクレームである。扉のポストが開いていたのか、私が大音量でダンシングソングしていたからなのかはわからないが、聞かれていたことには間違いはない。
 幸いにも着替えずに仕事着のままだったので、クレームを聞き入れる体制はばっちりだった。寝間着に着替えなくてよかったと思いながらも私は恐る恐る扉を開けた。
「えーっと、あの……」
 扉を開けるとそこには顔見知り以外なんでもない関係のおばあさんが目の前でニコニコしながらタッパーに入った何かを抱えていた。言いよどむ私におばあさんはタッパーを私に渡した。
「これよかったら」
 手のひらサイズの小さいタッパーの中にはウズラのゆで卵が一個入っていた。思いもよらぬ状態に私はますます戸惑った。
「あ、あの昨日うるさかったですよね。申し訳ないです。以後気をつけます。」
 タッパーを右手に持ちながら私は定型文のような、謝罪を述べた。
「いえいえ、いつも楽しく聞いてますよ。これよかったら育ててください。」
おばあさんの口から出た「いつも楽しく」の部分は大いに恥ずべき気持であったが、それよりも私にとって気になるのはその次の言葉であった。
「よかったら育ててください」……なにをだ?
戸惑う私の顔を見ておばあさんは淡々と私に説明をした。
「おでんですよ。おでん、よかったら育ててください。タッパーはあげますから。」
そうして私はおでんを育てることになった。

2020年1月18日(土)
 おばあさんの話があまりにも淡々としていたので前日は深く追求できずにタッパーを受け取って、そこで会話は終わったのであるのがその後調べたところによるとおでんを育てるというのは立派な家庭菜園のジャンルの一つとしてあるようだった。
 「おでん 育成」で調べたら一番上に出てきたサイトを参考におでんを育成することにした。というわけで前日のうちにタッパーの中に、事前に偶然買ってあったこんにゃくの中にうずらの卵(実際はうずらの卵ではなくおでん種とそのものずばり言われているらしい)を入れて、コンビニのおでん出汁をかけておいた。
 冷蔵庫にいれて、一晩たって今にいたる。「おでん食べたい」とあれだけ叫んではいたものの昨日のうちにおでん自体は食べ終わったので今はそんなに「おでん食べたい」という気持ちではないのだが、そもそもおでん自体もすぐに育つわけではないらしい。大体一週間くらいかかるとサイトには書いてあった。
 キッチンの隅に置いてあるタッパーを覗き込むとさっそくうずらの卵の登頂部分から深緑色の小さな昆布巻きが生えていた。葉っぱのように昆布巻きの両端がだらりと垂れ下がり、うずらの卵の中央に昆布巻きの中央が生えている。うずらの卵は心なしか昨日よりかはしぼんで見える。
 昨日たっぷりと入れておいたはずのおでん出汁は、吸い尽くされたかのようになくなっておりこんにゃくは少し乾いた状態になっていた。どうやらネットにも書いてあったが、水やりならぬ出汁やりは十分に行わないといけないようである。さっそく私は駅前のコンビニで多めにもらったおでん出汁を注いだ。
 もちろんコンビニではおでん出汁だけをもらったわけではない、卵と大根をきちんと買っている。市販の出汁でも良いらしいが、出汁はおいしいほうがより成長するらしい。今日のところは一番良い出汁を注いでおくとする。
 出汁を注ぐと、乾いたこんにゃくは息をするようにすぅーっと吸い込んでいきプルプルとした状態になった。
 あと一週間これを繰り返すことになる。毎日コンビニでおでんを買っていたらおでんの栽培で金欠になってしまうので、明日からはおでんの素というのがあるようなのでそれを水で溶いてやりたいと思う。
 その日の夜は買ってき大根と卵と鶏肉を煮て、ごはんと一緒に食べた。

2020年1月19日(日)
 今日見たら昆布巻きの真ん中に焦げ茶色の棒が少し出ていた。人差し指サイズであろうか葉っぱにあたる昆布巻きは昨日よりも大きく育っており、市販されている昆布巻きサイズの葉っぱになっていた。一週間で栽培が終了するというのはわかっているが、成長がはやい。
 今日はコンビニのおでん出汁ではない。おでんの素である、和風顆粒出汁ではなくスーパーに行ったらおでん用の素が売られていたのである。おでんというものはしょうゆやみりんでなんやかんやして作るものだと思っていたのだが、こういう手軽な素があるということをその日初めて知った。
 おでん育成サイトでは通常インスタント肥料として書かれていた。おでん育成に必要な肥料は何種類かあったのだが一番手ごろなのがこれであった。ちなみに一位はやはりコンビニのおでん出汁であった。
 おでん育成業界の中でもこれが一番らしい。
 さっそく買ってきたおでんの素を水で溶いて、少し乾いたこんにゃくにひたひたになるまで注いだ。
 ちなみにその日の夜は野菜と肉を煮込んでカレールーを入れたカレーである。

2020年1月20日(月)
 仕事中けして暇だったわけではないが、今日はおでんがどうなっているのだろうかと想像してワクワクしていたため帰ってきて少なからずがっかりとした。今日はあまり成長していない。焦げ茶色の棒が小指程度伸びており、感覚ごとに少し凹凸ができているくらいであった。この焦げ茶色の棒はアレになるようだが、まだなれていない。
 この凹凸がアレになるのだろうか。
 今日の出汁もおでんの素である。今日は気持ち濃いめに作って注いだ。
 ちなみにその日の夜は前日作ったカレーである。

2020年1月21日(火)
 火曜日という日はなにもなくどうしようもない日なのであるが、おでんに変化はあった。
 焦げ茶色の棒にできていた凹凸がさらに大きくなり、かなり小さいがプルっとした薄茶色で半透明の実ができていた。
 そう牛すじである。おでんの中でもトップクラスにおいしいアレである。すでに実が詰まっていてついつい手を伸ばして取ろうとしてしまうが、我慢した。やはり咲くまでは食べるのは我慢するとしよう。
 いい成長っぷりだとおでんに声をかけながらおでん出汁を注いだ。今日はおでんの素にしょうゆとみりんを足してみた。
 ちなみにその日の夜は2日前に作ったカレーである。

2020年1月22日(水)
 水曜日というのは週の真ん中でもっとも一週間の長さに対して絶望するのだが、わたしにはおでんが待っている。
 今日のおでんちゃんは昨日まで小さかった牛すじが大きく膨らんでやや小ぶりではあるがりっぱな実をつけていた。実自体にも個性が出てきて少し皺が出てきているものやこい茶色のものなど様々である。
もう「ちゃん」付けだってするくらいの愛着は出てきた。自然とおでんちゃんと呼ぶようになった。
 いい感じに育ってきているといえるのではないだろうか。今日はご褒美としてコンビニの出汁をプレゼントして注いだ。
 ちなみにその日の夜は3日前のカレーに買ってきたおでんの厚揚げと卵を入れた。おでん買いに行くと卵買いがちであることにこの日記をつけて気付いた。

2020年1月23日(木)
 明日金曜日があると思うとしのげるのだが、それ以外に仕事をする意味合いが持てないので正直超しんどい。と毎週思っている。
 しんどいだけの週だが私にはおでんちゃんがいる。
今日はなんと、ついに棒の先に小さな円ができた。一円玉くらいのサイズであろうか、薄っぺらくて小さいがべっこう色のそれは大根である。そして牛すじが立派な形なっていた。サイズ的には親指の爪と人差し指の爪の長さくらいである。出汁がしっかりしみ込んだ牛すじを食べることを想像して思わず唾を飲み込む。が、まだ手を出すには早い。
 サイトで出汁を入れすぎると濃くなりすぎるらしいと書いてあったため、今日はしょうゆとみりんを少し入れて薄めの汁にして注いだ。
 ちなみにその日の夜は4日前のカレーである。カレーが尽きたのでまた明日から野菜と肉を買いこまなければいけない。

2020年1月24日(金)
 金曜日!休みの日だ!一週間で一番楽しい時である。料理をつくるのはやめて牛丼屋でつゆだくだくだくくらいにしてもらった牛丼を購入して持ち帰った。牛丼というよりも若干リゾットに近い。
 なぜか、もちろんおでんちゃんのためである。ちょっとアレンジを加えて牛丼のつゆをいれるのもいいのではないかと思ったからである。
 百パーセント牛丼のつゆにするのではなく少し薄めて三倍希釈ぐらいで入れた。牛丼のつゆだって美味しいのだからおでんの出汁にして美味しくないわけはないだろう。
 おでんはもう八分咲きといったところであろうか、一円玉くらいのサイズから一晩でオロナイン軟膏の蓋くらいのサイズになっていた。
 金曜日なので私は缶チューハイを飲んだ。ほろ酔いついでに缶チューハイを隠し味にいれそうになったけれどさすがにやめた。

2020年1月25日(土)
 起きたのは昼前であったが、朝目が覚めてまっさきにおでんちゃんを見に行った。なんとおでんちゃんが立派に咲いていた!
 十分咲き、満開である。オロナイン軟膏の蓋から大容量ハンドクリームの蓋くらいのサイズに、お玉ひと掬い分ぐらいに大根が咲いていたのである。
 朝ごはんは野菜スティックパンと決まっているので、さっそく昼にじっくり食べることにした。
 その前に写真を撮って保存しておかなければ、おでん栽培育成業界の中では比べ物にならないものではあるが、やはり最初に作ったものの感動はひとしおである。そして最初にネットで検索したときについでに見た品評会のおでんたちの凄さが作って見ると実感する。大根の艶が私のおでんにはまったく足りていない。
 品評会に出ているおでんたちはしみしみでプリップリで外見からして造形美が凄い。作って見る前はなんだただのおでんかと思っていたが全然違う。
 とはいえ、私の育成した初めてのおでんだ。大切に食べたいものである。
 花部分にあたる大根はよく染みていて大きさも厚さもちょうどいい、コンビニで売っているおでんよりかは心なしか少し厚みが薄い程度であろうか。
 茎部分にあたる牛すじは同じ茶色でありながらも一個一個に色合いが微妙に違い、一つは完全に縮みきって灰色になっているがこれはこれで味が楽しみである。
 葉にあたる部分の昆布巻きは垂れ下がった昆布がより分厚くなっており、なおかつ出汁をたっぷりとすって艶が出ている。これはコンビニのおでんよりもフォルム点では上といえるだろう。我ながら初めてにしては、昆布巻きはうまく作れたのではないかと思う。
 さっそく昼になったのでおでんを食べることにした。さっき朝ごはんを食べたばっかりと言われてしまうとそれまでなのだが、朝ごはんは起きたら食べるものだし昼ごはんは昼に食べるものである。
 どのように食べるべきかというのはおでん育成業界の中でも二つの意見がある。ばらす派とばらさない派である。業界の中で一般的なのはやはり様式美のあるばらさない派である。今回はばらさないで行こうかと思う。
 要は身近なものでいうと焼き鳥の串から肉をばらすかばらさないかといったような話である。
 鍋に最後ということで少し濃いめに作ったおでんの素をコップ一杯分くらいいれて、おでんちゃんの植えてあるタッパーからそのまま手でこんにゃくをつかみ鍋の中に立てて入れる。なんだか植え替えのようである。おでん育成で大きなものを作る人はじっさいに植え替えもするらしいが、今回の種は小さいので植え替えは発生しない、このまま作ってもしぼむだけである。
 鍋がぐつぐつと煮込まれて、大根がゆらゆらと揺れたら熱が通った証拠らしい。ちょっと手で触ってみたら確かに熱くなっていた。
 鍋から皿に移すのはめんどうなので、テーブルに鍋敷きを敷いて鍋ごとダイニングテーブルに持ってきた。
 さて実食である。ここで問題が発生する。
 おでんを上から食べるか下から食べるか問題である。いっそ自由に牛すじのところをおって真ん中から食べるという手もある。少し悩んだが悩んでいる時間がもったいないのでまずは上から一口いただくことにする。
 おでんちゃんいただきます。
 まずは上から覆いかぶさるようにして大根を一口食べる。瞬間、大根が歯を使うことなく舌の力だけで口の中でほどけていく。じゅわりとおでんの出汁が口に広がる。コンビニのさっぱりとした出汁の中にちょっと濃いしょうゆ味と塩気、そして遠くに牛丼のつゆの味がする。
 味が濃いめであり、あまり食べたことのないおでんの味である。めちゃくちゃ美味いというわけではなく、美味いと聞かれると普通と答えるくらいである。
 手間暇に対して味がめっちゃ普通なのである。牛丼のつゆによりオリジナリティがでてはいるもののやや拍子抜けするような味であった。最初だしこんなものなのだろう。
 次に箸を使って土代わりに使っていたこんにゃくを切る、箸で切ろうとする力に一瞬反発をするもののさくっと箸を通る。口に入れて噛んだ瞬間はじけるように出汁があふれ出てくる。普段食べていたこんにゃくのあの無味なところが一切ない。噛めば噛む分だけ出汁があふれ出てくる。これは美味い。
 ここで土台がぐらついてきたのでいったん横に倒す。上からそのまま食べるのもよかったのだが、どうせ一人なので好きなように食べることにした。
 こんにゃくを食べると中から、小さくなったウズラが取れた。昆布巻きに色が侵食されててっぺんがやや緑色になっていたが、食べるとしっかりと卵の味がした。
 牛すじの串、もとい茎から昆布巻きをそぐときれいに昆布巻きだけが取れた。牛すじと茎は一体化していると思っていたが、軽く引っ張るだけで分けられるようである。
 昆布巻きは一口で口に頬る。出汁が染みつつも昆布の弾力感と味わいを残しており良いマッチングがされている。おでんの中で出汁用の昆布とかでっかいの一枚普段食べちゃうんだよなとか昔母が作ってくれたおでんに記憶がよみがえる。
 牛すじの茎を手で引っ張り大根から外す。茎を一口食べてみたが、食べられないことはないが筋張っていて食べられるものではなかった。串を横にして、牛すじをスライドさせるようにして口に運ぶ。噛むとやわらかでいてなおかつ牛の味がしっかりと口の中で混ざり合う。牛丼のつゆが効いているのか牛の癖がやや強くそれがおいしさを引き出していた。元々牛すじが好きであったが、これはその中でもかなり良い。コンビニで販売してくれないかなぁと思う。
 というわけでおでんちゃんを全て食べ切った。
 ごちそうさまでした。
 ちなみにその日の夜は肉と野菜のごった煮三日分である。

 以上が私のおでん育成日記なのであるが、手間暇に対して味のクオリティが低いのではないだろうかというのが正直なところである。元々観葉植物を枯らすような人間が一週間おでんを育成したのだからもう少し驚くような味があってもいいのではとついつい思ってしまうが、そこは手間暇かけた愛情というやつなのだろう。
 いや、だがしかしである。食べ終わっていうのもなんだが、これって本当に一般的なのであろうか?
 怖すぎて周りの人に聞けないのである。ネットの情報はすべてではない。
 もしかしたら私の気が狂って普通におでんを食べていただけかもしれない。

 皆さん、あの、質問なんですけどおでん育てるって一般的なんですか?
 

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