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はじめの記憶、終わりに向かう

わたしが生まれてからいっとう最初の記憶は、アパートのベランダから射すあたたかな光でした。

わたしはふかふかとした太陽の匂いのする布団の上で腹這いになり、腕と足をぱたぱたとさせながらベランダでシーツを干す母親を見上げていたのでした。

もしかしたらその記憶は誤りで、写真で見た風景が頭に残っているだけの話なのかもしれません。

幼い頃の記憶はところどころ鮮明に残っています。姉は心臓が悪く、母親と東大病院に通い、帰りに必ずパパイヤをお土産に買ってきてくれたこと。

父親が作った焼きそばはなぜか麺が短くて、お父さんの焼きそばは短いねって笑ったこと。

夜中に高熱を出して、母親がきゅうりの輪切りをビニール袋に入れて両足につけて熱冷ましをしてくれたこと。

ロングヘアのリカちゃん人形が欲しかったのに、クリスマスの日にボブカットでモデル体型のジェニーちゃんが枕元に置かれていて、喜んだふりをしたこと。

「笑っていいとも」でコショウの匂いを嗅いでクシャミを出す一芸を見て、姉に思いっきりコショウを振りかけて父親に怒られたこと。

ピーマンを食べなさい、嫌だ!のやり取りの末、家出をして30分足らずで家に戻ってしまったこと。

大泣きをしてベランダに出されたけれど、周りが寺なので泣き声が反響してうるさいのですぐ家に戻されたこと。


セキセイインコを2羽育てていたとき、父から幼いわたしへこんな質問をされました。

「何か困ったことがあったら誰に相談する?」

多少の照れもあり「お母さん」と答えると「その次は?」と聞かれ、お姉ちゃん、先生、おじいちゃん、おばあちゃん、叔母さん…最後には飼っていた鳥の名前を挙げて、父親の名前は挙げませんでした。

そのときの父の表情は思い出せませんが、可愛げがなくて申し訳がなかったなあと思います。姉はお父さんっ子だったのにわたしがそっけない(その上わがままな)ので父として一度聞いてみたかったのかな、と今は思います。

今ならば「夫と、お父さんとお母さんに相談する」と答えるよ、おとうちゃん。

わたしの家族はみんな女性の気が強いので、夫や義理のお兄ちゃんと一緒に飲むときは父親の目がきらきらしています。犬のモコ(オス)を飼っていた時も男の仲間が増えたので嬉しいんだと言っていました。

つらつらと過去の記憶を書いているのは、今生きて灯っているあかりが、あと何年かしたらふっと消えてしまうんだろうなと日々感じるからです。

わたしだって、明日のことはわからない。10年後に生存しているかどうかは誰にも予測ができないことなのです。

最後に。
むかし、自宅にカセットテープがあり、再生をしたら父親と舌っ足らずのわたしの肉声が録音されていました。音声ではふたりでカモメの水兵さんとちゅうちゅうたこかいな、を歌っていました。
面白いのはわたしの今の声の面影(?)があったことです。

両親に反発することが多かったわたしですがテープの音声を聞いて、恥ずかしながら改めて親の愛を感じとることができました。
お子様の肉声の録音、おすすめかもしれません。最近だとビデオで残される方がたくさんいらっしゃるかとは思いますけれど。

長々失礼致しました。

きょうはほんの少しおセンチですね。
秋が近いのかもしれません。

残暑はまだまだ暑いざんしょ
(小学生の時のアベくんのダジャレです)

#エッセイ

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