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【エッセイ】坂の上の絶望

八王子の坂の上にあるリハビリ病院に二度入院したことがある。

どちらも躁状態のひっこみがつかなくなっての入院だ。

私の実家は都内の下町にあるが、こんな家の近くに入院するなんて嫌だと言って、無理やり都下の病院を探してもらった。とんだわがまま娘である。

一度目の躁状態はかなり酷く出て、入院させられた後は、病院でも大声で暴れまくっていた。
ギンギンに頭は冴えて、夜、何度もナースセンターに行く。

眠れないんだけど。

じゃあ、お部屋で話そう。

女性の看護士さんがいう。

その病院では入院当初は個室に入れられる。
ドアに鍵はかからず、取っ手もない。窓は数センチしか開かない仕様になっている。自殺防止。

真夜中、夜勤の看護士さんと1時間くらい話す。
ほとんど一方的に私が話して、看護士さんが相槌を打つ。
看護士さんて大変な職業だよ。

躁状態はある日突然終わりを迎える。
はた、と止まって我に返るのだ。
我に返って、今までの己の言動をかえりみたとき、猛烈な羞恥が襲う。
私はなんて恥ずかしいことをしたんだろう。無駄金も使いすぎた。話す人話す人を罵倒し尽くして友達もいなくなった。

内省を始めた途端、鬱に突入する。
結局躁鬱合わせて半年間の入院が続いた。

主治医が時々部屋を覗いて、顔色を見る。

「あらー、もうちょっとかなー。ヤスタニさんは鬱も強く出るタイプなのね」

「先生、もう家に帰りたいです」

「うーん、もう2週間、様子見ましょう」

そういうやりとりを何度も行った。

リハビリ病院では午前中に作業療法を行う。指導に沿って竹細工をしたり、手芸をしたり、ピアノに合わせて患者みんなで歌ったりした。

午後の散歩は病院の裏にある山道を歩く。10分も歩けば町の音は消えて、山の木々に囲まれる。杉のいい匂い。今思えば贅沢な散歩だと思うが、当時は苦痛でしかなかった。

二度目の入院のとき、友だちが近くまで車で来ているからと見舞いに来てくれた。
一度目の躁状態のとき、その子を罵倒しまくって、いまのあんたとは友だちでいたくないと言われた子だ。
そのあと平謝りして許してもらった。
そして二度目の入院。
ど田舎まで見舞いに来てくれるなんてありがたい話だ。

パンツスーツで颯爽と歩いてくる彼女。
思えば彼女は私より早く彼氏ができて、私より先に処女を失って、私より早く就職した。
この後の話、彼女は私より先に結婚して、私より先に子供を産むことになる。

一方、鬱絶頂の私、大学も卒業できず、派遣の仕事も辞めた。こんな山ん中でなにやってんだ自分。

彼女を見送って、鬱々とした足取りでベッドに横たわった。当時は元気ハツラツな人を見るだけで辛かった。

いいこともあった。二度目の入院で同い年の女の子がいた。一見健康的に見える。でもそうじゃない。
入院患者ってわりとみんなそうだ。
普通っぽいのにそれぞれに病気を抱えて、治療を受けている。

仲良くなった私たちはときどき彼女のベッドに入って2人でこそこそと話をした。看護士さんに見つからないように。

いま、彼女はやっと働ける状態にある。
彼女が頑張って働いていると私も頑張んなきゃと思える。
私の結婚式のときには彼女にブーケを手渡した。親友。

人生、どんな巡り合わせがあるかわからない。

#エッセイ

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