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「ダサいわ、ファック」

私にはとても色白で聡明で絶対評価で顔の造形が美しい友人がいます。そして彼女はダサいことが嫌いです。

恋愛感情こそ芽生えませんでしたが、他の女の子とむつかしい話をしているときはちょっとした嫉妬もしたこともあります。

彼女の良さは数えきれませんが、中でも洗練された言葉の数々が私を引きつけて離しませんでした。

彼女がある種の多幸感について「気分がいい時はまるで世界に愛されている気持ちになるの」と晴々とした表情で語ったことは忘れられません。

空が澄み、風は穏やかに、周囲の人間から優しくされるとき「私は世界に愛されているのだ」と私自身じんわりと感じ入ることができたからです。

私たちは友情という括りを超え「愛」のフェーズを見出していたかもしれません。一方的な私の思い込みかもしれませんし彼女に伝えても「フェーズって言葉を使いたいだけでしょ?」と笑われてしまうかもしれません。

過去に「結婚するなら○○ちゃんで、やすたにちゃんとはドロドロの恋愛がしたい」と言われたことがありました。
空想とはいえ配偶者になれない悔しさがピリっと背中を撫でたそのあとすぐに「ドロドロの恋愛」という絶妙な関係に背筋がぞくりとしました。

さて、生活というものは万事がうまく進むものではありません。配られたカードをめくるたび静かに薄暗い方向へと誘導されてしまうことがあります。
彼女のカードが良くないなら手持ちのカードと交換したい。それが無理なら別のゲームを提案したい。それも駄目なら最期を見届けたい。そんなことを考えます。
彼女の最期を見届ける行為が世間的に見て愛なのかはわかりませんが、まことに勝手ながらこれも愛だとカテゴライズしてやろうと思うのです。

だけどこの文章をもし彼女に見せたなら「なんしか自己愛にじみ出すぎでダサいわ、ファック」と笑われてしまうかもしれません。

それだっていいのです。
これがわたしなりの彼女への愛だと呼ばせて頂きます。


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あずきさんの企画に参加させて頂きました〜。


#あず企画あなたを想う #エッセイ

#すみません 、タイトル変更致しました




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