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【掌編】ブンちゃんは人たらし

 ブンちゃんは人たらしだ。

 どこかの誰かがこれこそ運命の恋、と直感して、眼前の空気が甘い香りで覆われているとき、ブンちゃんは「よし来た!」ととっておきの恋愛小説を提供する。

 ブンちゃんの手にかかれば、ただでさえラブの補正がかかった景色がそれはそれは甘美に満ちた世界に乗算されていく、と聞く。

 またあるとき、どこかの誰かがこんな地獄の空間には1秒たりともいたくない、とこの世からのドロップアウトをキメようとしたとき、ブンちゃんはちょうどいいタイミングで「ちょっと待てい」とストップをかける。

 そしてほこりのかぶった本棚から、とことん一緒に堕ちてくれる詩集を手渡して、地獄の9番地で地団駄を踏んでいた若造を、すんでのところで引っ張りあげてくれる、みたい。

 ブンちゃんは友情に厚くて義理堅くて絶対に裏切ったりしないけど、いい意味で予想を裏切ったりしてくれるから、ますますみんなはブンちゃんのことを好きになる。

 今のはブンちゃんのほんの一面。

 私がブンちゃんに初めて出会ったのは、職場の同僚のことでストレスフルになっていたときだった。

 なんでもかんでも面倒ごとを押し付けられて、出勤のたびに彼女に会うことが苦痛で仕方がなかった。

 そんなとき、どこからともなくふらりと現れたブンちゃんは、うんうんと私の愚痴を遮らずに最後まで聞いてくれた。
 ブンちゃんに思いの丈をぶちまけてすっきりした私は、最終的に散々悪口を並べた同僚を、彼女なりの状況もあったはずだと考え直すことができるほどになっていた。

 誰にも言えない秘密だって、ブンちゃんになら話すことができた。
 ブンちゃんは私のことを蔑んだり馬鹿にしたりしないし、どんなに最低な話だとしても真剣に耳を傾けてくれることを知っていたから。
 
 ブンちゃんと話していると不思議と気持ちが軽くなる。鬱憤も罪悪感も脱衣所の珪藻土が液体をすいすい吸い込むように、最初からなかったかのようにしてくれる。
 
 ブンちゃんが味方についてくれていれば、どんな天災も人災も怖くない、これからの私は100年安泰。とすら思えた。
 これだからブンちゃんは人たらしと言われるのだろう。

 でも今年に入ってブンちゃんとうまくいっていない。

 ブンちゃんと私の関係性がぎこちなくなってしまったのは、ブンちゃんが常に聞き役で、私が好きなときに、自由に、というか気まぐれに、適当に話しているだけだと気づいてしまってからだ。

 ブンちゃんと対等な関係になりたい、というかもっと言えばブンちゃんに私のことを好きになってもらいたいと欲が出てしまった。

 だけれどもブンちゃんのことを知ろうとして、知人からブンちゃんの情報を集めて近づこうとすると、ブンちゃんは今まで見たこともないようなつれない態度を取るようになってしまった。

 ブンちゃんと面と向かってちゃんと話がしたくて追いかけても、ブンちゃんは振り返りもせず猛ダッシュで逃げていった。

 ブンちゃんは韋駄天そのものだった。

 負けじと運動神経ゼロの私が雑誌『ターザン』を読みこみ、走りのフォームを変えてブンちゃんに挑んだけれど、やはり脱兎のごとく逃げられてしまった。私の心臓には動悸だけが残った。

 あれだけ私の近くにいたブンちゃんが、今ではとても遠い存在になってしまった。

 そしてふと気づいた。ブンちゃんを追いかけることに必死になりすぎた私は、ブンちゃんとの会話の楽しさを一切忘れていることに。

 ブンちゃんをいち早く仕留めるために日々ランニングフォームを鏡に映して、眼をギラギラさせながら、敵を捕えるにはあのルートでこう攻めた方がいい、設定はこうで、プロットはこうで、締め切りに間に合わせるためには1日ノルマを何ページずつ書いて、オチはこうで、いや意外性がないな、ストーリーがありきたり過ぎて嫌になるな、ああなんでこんなコスパの悪いことしてるんだろう、っていうかなんで会社の繁忙期はずっと収まらないんだよクソが、とぶつぶつ口に出しながら悩む私は、きっとブンちゃんがいちばん嫌いとするタイプの人間になりさがっていたに違いない。

 ブンちゃんに、もう一度会いたいよ。

 ブンちゃんとの楽しかった会話をもう一度思い出して、またふりだしに戻って、プロットなんて書かないで、文字数のことも考えないで、指が動くままにブンちゃんと遊んでいた頃を思い出して、キーをタイプする心地よさに任せていれば、またブンちゃんが振り向いてくれるかもしれない。

 そばに寄ってまた私の話をうんうんと相槌を打って、静かに笑って聞いてくれるかもしれない。いつかまた遊ぼうね、ブンちゃん。今度会ったときは徒競走じゃなくて、二人三脚で一緒のゴールを目指したい所存です。

(了)


ブンちゃんは物語の比喩です。
物語は作品を求める読者には深く寄り添い、作者は物語を通じて自分自身と少なからず会話をしているものだと思います。

私は作者としてこれまで物語と良い距離感を取っていましたが、公募への応募を決めてから少し関係性がずれていくように感じています。

プロットを作成し、長編小説で公募に挑もうとしたのですが、プロットを書き終えると作品がありきたりで陳腐なものに見え、筆が進まなくなりました。
筆が進まなくなると、次のプロット案を出すことや、書くことそのものに苦痛を感じるようになりました。

これは、今まで軽いランニングしかしていない人間が、フルマラソンの大会に出場を決意し、慣れない靴と見よう見まねのフォームで挑むようなものかもしれません。

さらに現在、仕事が大繁忙期で疲労のため頭が回らないこともうまく進まない要因のひとつかもしれません。年度末で繁忙期が終わるのか、それとも継続するのか予測がつきません。

打開策として、長編の公募はハードルが高いので一旦保留にし、まずはページ数の少ない公募からトライしてみようと思います。
また、ガチガチのプロットを作ることもやめ、初心に戻って指の動くままに書くことから始めようと思います。

またブンちゃんと仲良くなりたいのです。



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