2024.2.28 (水)あやうくもんじゃ 劇場版スラムダンク 刺し子の図案 責任を全て引き受ける覚悟 袋麺

2月最終日だと思ってたら、あと1日あるらしい。得した気分になる。
ほどほど起床。今日は1日家で過ごす予定。
いつものルーティン。

賞味期限があやしい種類違いのパンケーキが2袋あったので、ミックスして焼くことに。パートナーが作ってくれたのだけれど、間違えて水を3倍量くらい入れちゃったらしい。めちゃくちゃ笑う。彼は焼くのが上手なので、片面パリッと片面もちもちのどでかいパンケーキが焼けた。わたしは美味しかったけれど彼は微妙な顔をしていた。

予約していたスラムダンクのDVDが届き、ウキウキワクワクで観ている彼を横目に身支度をして、日記を書く。
少し本を読んで、楽しみにしていた刺し子にとりかかる。わたしはスラムダンクを見たことがなくて、物語としては全く知らないけど、試合の途中途中が気になって、手が止まる。

刺し子の図案を決めて、まずは方眼を書く。その後、色違いのペンで、刺していく図を書いていく。
自分でも驚くくらい、集中して 黙々と書いた。
まだわたしの心の中には、このわたしの営みに対して「そうして、どうなるの?」とか「どんな意味があるの?」とかなんだかそういうことを言ってくる輩がいる まだいるけど、でもその声は随分遠くなったなと思う。むしろ居なくなることはないのかもしれないね。頭の中で「それは生産性のあること?誰かの役に立つこと?」とかも聞こえてくる 聞こえてくるけど、社会のものさし的に言えば、これは生産性の無い、誰かの役に立たないことかもしれないけれど、それはたくさんある 物事の 解釈の 1面なだけであって、わたしはそこからわたしのものさしで、価値や意味を見出していきたくて だって、意味の無いものなんてそこらじゅうにあるけど、そんなもの実はどこにも無いでしょう。そこに価値を見出すかどうかだから。やっぱりいつだって自分だよ、自分として在れるか、どうか。
ぼく自身のノオトの中で、「自分自身でいる ということは、単に自分の思うがまま振る舞うことではなく、その時に感じる色々な自分の存在を認め、どの感情のどの自分に反応するのかを自覚して選ぶことにより、自分の行動に責任を持つことなのだ」と言っていた。
わたしは自分自身でいたいから、こういうことを常に、考え続けなくちゃいけないと思ってる。これはわたしへの警告でもある。自覚して選ぶこと その責任は全て引受ける覚悟を持つこと。高校生の時からずっと、覚悟という言葉がわたしの頭の中にある。

お腹がすいてきたので夜ご飯。今日はサッポロ一番塩ラーメンと決めていた!普段の食生活がお野菜中心なこともあり、ときたまこういうものがたべたくなる。彼は味噌煮込みうどんに餅を入れるらしい。2人で袋麺を食べながら、2週目のスラムダンクを観る。

部屋に戻って、寝支度をする。
今日は二人して己の趣味を存分に満喫していたから、あんまり話していなくて、なので少しお喋りをする。有難いことに彼もわたしの日記を読んでくれるのだが、「最近日記でよく褒めてもらえる」と言われる。全く褒めたつもりがなかった。

明日はわたしとお出かけ予定、わくわくしながら就寝。

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