【やっといろいろ気付いた】Twitterやめたら快適すぎた。

Twitterをやめて1週間くらい経ったか。

非常に快適だ。

Twitterをやめるだけで、ここまで快適になるとは思わなかった。

二年間ものあいだ、必要のない情報にまみれてたんだなぁ。

SNS疲れとか、Twitter廃人とかって言葉は以前から聞いていたけれど、自分とは無縁だと思ってた。

なぜなら、自分は「好きでTwitterをやっている」「他の人と違って、Twitterはただの趣味」「だから悪影響はない」とか思ってたから。

Twitterに飲み込まれてるわけじゃなく、好き好んでTwitterをやってるだけ だと信じていた。

でも別に、好きでTwitterをやってるわけではなかったみたいだ。

小学5年生頃からネットに入り浸っていたせいで、SNSが、あまりにも身近だっただけ。

好きとか嫌いとかじゃなく、身近だっただけ。

好きでTwitterをやってたわけじゃないみたいだ。

自分としては、かなり大きな発見。

SNSをやめた時間に、なにか生産的なことをしてるわけではない。

それでも、心が軽くなったのは事実。

心が軽くなっただけで、かなり生きやすい。

なんか不調だなって感じる人は、Twitterをやめたらいいのかもしれない。

結局自分の体験をおすすめするだけの、押し付けおばさんにはなりたくないけれど。

今日は自転車で隣駅までいったり、ラーメンを食べたり、編み物したり、お菓子を作ったりした。

それだけで楽しかった。

Twitterをやってる時も同じようなことをしてたけど、同じようなことをしてても、心の軽さが全然違う。

Twitterをやってると、ずっと仕事しなきゃいけない気分になる。周りの人が仕事のツイートをしてるから。自分は「今日はやすみ!」と決めてるのに、Twitterで仕事してる人を見かけると、仕事しなきゃって気分になる。休みをしっかり休めない。

Twitterをやってると、人と仲良くしなきゃいけない気分になる。べつに、まわりの人や家族、自分と関わってるだけで十分なのに。遠くの人と繋がったせいで、近くの人も遠くの人も、みんなで仲良くしなきゃいけない気分になる。うまくやってかなきゃいけない人が増えた感じがする。全然人と関わりたくないのに。

Twitterをやってると、全部の発言や行動を監視されてる気分になる。誰も気にしてないのに。誰にも見られてないのに。自分で勝手に監視してるだけなのに。

Twitterをやってると、とても狭い世界での流行が、世界での流行みたいに思えてくる。流行の稼ぎ方をやらなきゃ人生が詰むような気持ちになる。インフルエンサーは専門家ではないから、根拠のない、好き勝手な意見が多いのに。正しさにかかわらず、「この人が言ってるから間違いない」って思い込んでしまう。信用って怖いよね。信用してる人の発言は、少なくとも自分の世界では「正しい」気がしてしまうから。Twitterの流行が、世界での流行ではない。職業はインターネットだけじゃない。農業だって林業だって事務仕事だって、昔と変わらない職業はたくさんある。淘汰される職業もあるだろうけど、それは中央の、競争の激しい世界の話。競争の激しい世界で生きないなら、昔ながらの職業をしたっていい。

人類は寿命が長い。だから進化も緩やか。まだ身体は農耕民族のままかもしれない。パソコン仕事が出てきたのは最近のことだ。そんな最近出てきたぽっと出の仕事が、たくさんの人間に合うとは限らない。

血族+近所の人 くらいの付き合いでいいんだよね。ネットが無ければ会うことのないような人とは関わらなくていいんだ。もちろんプラスがあるならネットで人と出会ってもいいけど。

ちょっと前まで、ネットだけで生きたいと思ってたし、それを実現できた自分が誇らしかった。でもだんだん違和感が膨らんできて、むしろネット以外で生きたくなった。自分の仕事もネットだけ、人との関わりも基本ネット、休日もネット上で過ごす、みたいな。その生活に違和感を持っていなかった。

でも待てよ
と少し立ち止まって、Twitterをやめてみたら、今までの生活は違和感だらけだったと気付いた。

生活の中にネットがあるだけ のはずなのに、
小学5年生からずっと、ネットの世界中心に生きていた。

地球に生まれたのだから、わたしは地球で生活した方が自然なはずなのに、ネットのなかで生活してた。変なの。

ちゃんと現実世界を生きてる人からすると当たり前なんだろうけど、ネット以外の場所で、生活しようって思った。わたしはインターネットの中に生まれたわけじゃないから。

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