死にたい気持ちを分解する

きのう久しぶりに死にたさが出てきたので気持ちを整理する。

ちなみに何かを分解するときに「因数分解する」と表現するのが苦手である。因数分解は数学の因数分解だろ、因数いらなくね?分解するでよくね?因数っているか?と思い気になってくる。

まずわたしの死にたさは希死念慮ではない。究極に不快なことがあったか、自分があまりにもダメな人間に思えるか、問題の解決方法が絡まりすぎているか、答えがわかるのに行動に制限がかかっているか。だいたいこんな感じである。

きのうは寒さや生理、暇さで土台が究極に崩れていた。とどめに不快なことが刺さってきたので、それが死にたさに繋がった。

死にたさがきわまると、まず言葉が溢れてくる。ノートやらSNSに書き出す。詩にしたくなる。ストレートな言葉じゃ強すぎて自分を刺すことになるから、詩に変換したくなる。

占いをしたくなる。自分との会話も他人との会話もだるくなると、占いで「あっちの世界」と会話したくなる。

イギリスの貴族や日本の皇室の話を調べ出す。自分とはかけ離れたものを見て落ち着きたい。

死にたさはあっても実際には死なない。自分はそうだ。でも死にたいと言っておきながら死なない人をみるとシンプルに「嘘つきだ」と思ってしまうので、死にたいと言いつつ死なない現象は、個人的にはあまり好きではない。

死にたさは別に感じてもよい。死にたさを感じるとカタルシス効果はある気がするし、真剣に生きてる気分になるし、せっくすがいつもよりいい感じになる。生死がきわだつんだろう。

特にまとめも言いたいこともない。眠い。たまに死にたいわーとなって、そのエネルギーで詩が書けたらいい

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