日記 日記を書きたい気持ちは別にないけど

一応書いておく。

今日は朝から地域おこし協力隊のぽちおさんのはからいで、梅の収穫に行った。たぶん3きろくらいはとれた。

ぽちおさんは狩猟をやってる人。ネット以外の、本当の意味で地域の仕事をしている人とあまり関わりがないので、「自分の頭の中にある働き方なんて社会のほんの一部なんだろうな」と改めて思わされたし、もっと広い選択肢の中から仕事を選びたいよね、と思った。 

帰ってからは三時間も昼寝をした。だから今あんまり眠くない。昼寝のために生きるような気持ちで生きててもいい気がする。わたしのブログのタイトルは「保健室で昼寝したい」なのだけど、それがわたしの欲求のすべてな気がする。

たとえみんなが頑張ってる場所・時間だとしても、わたしはわたしのペースで、好きなタイミングで眠りたい。昼寝したい。

夕方は彼氏の事業(?)の一環で古民家を見に行った。詳しいことは言うべきではないと思うので言わないでおく。

わたしは家が好きだし、昔の人の日常生活を垣間見るのが好きなので、古民家散策は面白い。でも古民家は物や人の気が積み重なっているので、立ち入るとそのエネルギーでめちゃくちゃ疲弊してしまうことがある。

単純に長い間人が住んでいないので、ほこりやかびなどもあるのだろうけど、そこにいた人間の気が押し寄せてくる。霊能力があるわけでもないし、物理的に見えるわけでも聞こえるわけでもないけれど。

普通、引っ越すときは家の状態や立地、隣人の様子などを考慮して引っ越し先を探すのだと思う。でもわたしの場合は、そこに家の「気」の状態も入ってくる。どうしても空気が重くて、ああ、ここにいるのは厳しいかも、というときもある。家というか、部屋ごとに気の重さが違うので、家ごと判断できるかどうかは微妙なところではあるけども。

夜は絶対美味しくなさそうな店に、本当に美味しくないか確かめに入ってみた。実際美味しくなかった。予想通りなだけなのに、なんかすごい落ち込んでしまった。

お金や時間、一食のもったいなさ以上に、「この人はなぜこの感じで飲食店を続けているのだろう?」という疑問と、「愛想よくしてくるけど美味しくないものを出してくる店の人に、どんな顔をしたらよいのだろう」というモヤモヤがつのる。ご飯を作ってくれてありがとうという気持ちと、何で飲食店なんてやってるんだろう?客にたいしてどんな気持ちなんだろう?という矛盾した想いが出てくるので、混乱して不快になる。矛盾した状況は非常に苦手だ。あらゆるものは曖昧なまま受け入れるべきとかネガティブケイパビリティとかいう言葉あるけど、それができるのは定型の人間であって、発達には厳しいと思う。

愛想悪くていいから、美味しいものを食べたい。

などと考えているうちに、自分の仕事についても考えた。

美味しくない飲食店に行くお客さんは気分が萎えるし、リピーターなどが来なくて店員さんもいい思いはしないと思う。誰も得しない構図だと思う。誰も得しない構図を仕事において作ってしまうのは悲しいことだ。

好きでも得意でもないことでお客さんを呼ぼうとすると、まじでいいことがない。好きなこと、得意なこと、やりたいと思えることを仕事にしようとおもった。

あとは、低クオリティで、こちらが個人で相手も個人の仕事はするべきじゃないと思った。単純に信用を失うよなぁと思った。

帰ってからは特になにもしてない。少し絵を書いたけど、下手くそだなぁと思った。

彼氏いわく、わたしは普通の人なら問題ないようなことでもすぐイライラするので難しいらしい。それは申し訳ないね。生活に変化があると、かなり混乱する性質ではある。ADHD、ASD、感覚過敏がフル稼働する感じ。自分は何にイライラするのか、何が無理なのか、実感を通して気づく日々である。今までどうやって暮らしてたんだろう?結婚生活時代は日中は一人、ご飯はつくってもらう、ご飯は共に食べる、その後は部屋にこもって一人行動してたので、実質かなり一人で暮らしてたんだと思う。あとタスクが全然なかった。昼ごはんは外食なことも多かった。

単純にタスクが増えてるのと、人間との関わりが増えてるのが大きな変化なのだろう。キャパを越えてるからイライラするんだろうか?自分でも分からないね。

快適に生きたいね。でも自分の快適を見つけるのって難しいね~。世の中のほとんどのことが「無理」に分類される気がする。そういえば生きづらい側の人間だったな、と思い出してきた。

最近、自分の発達が強く出ていて疲れる。はやく本当の意味で新生活に慣れるなりなんなりしたい。実際とても疲れてると思う。なにもしてないのに勝手に涙出てくるし。二週間くらい眠りたい。

サポートはお菓子代になる予定です