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センター試験を受験している4年前の自分への手紙

2014年の1月、19歳の菜々へ

4年後の私です。23歳になりました。センター試験1日目、お疲れ様です。私の記憶が正しければ、浪人の年のセンター前日に38度の熱が上がって、絶望感の中受験しましたね。薬で熱は下がってるものの、なぜか寒い恰好をして、なぜか教室は暖房もつかなくて、隣の席の人は貧乏ゆすりが激しくて、なんだか不調の中受験しましたね。

点数はギリギリだけれど、勇気を出して第一志望の千葉大学に出願し、無事に合格します。点数があまりとれなかったので弘前大学に出願しようとしますが、高校の学年主任に「お前は千葉だ」と言われます。その言葉を信じてよかったね。ちなみにその先生とは、今も飲みに行く中だよ。4年前は高校で面接練習をさせてもらってたけど、今会う場所と言えば、居酒屋です。不思議だね。

19歳の菜々は、「千葉大学で岡田先生のもとたくさん勉強して、教員採用試験は一発で合格して、秋田で養護教諭をやる!」と思っているはずです。だけど、教員採用試験は受験しませんでした。

きっと「え、なんで???」と不思議に感じると思います。理由は複合的すぎて、もはや説明できません。色んなものが少しずつ少しずつズレて、もう戻れないところまで来てしまったんだと思います。今は、養護教諭にはなりません、なれません。

そして、楽しみにしていた岡田先生の授業を受けることもできません。理由は、岡田先生の授業が始まる大学2年生の年、岡田先生は体調を崩されるからです。あの年に体調を崩されて授業を受けられないことは、私が養護教諭にならないことの伏線だったのかもしれないね。

その後、大学4年生の12月、岡田先生は亡くなりました。

養護教諭にならないこと、千葉大学の生き字引の岡田先生が亡くなること、想像なんてできなかったと思います。何がどこで変わるか、人生なんて本当に訳が分からないものです。

今、菜々が秋田で思い描いている未来は、やってきません。

養護教諭には、なりません。

岡田先生の授業は、受けられません。

げんちゃんとは、大学入学後すぐに別れます。

秋田には、帰りません。

パパは、身体を壊して仕事ができません。

おばあちゃんは、もう施設にずっといることになりました。

菜々が思い描いている未来は、やってきません。


でもそれは、悲しいことだけじゃない。想像していなかったこと、想像できなかった出会いがたくさんあります。

大学の友達は、みんな優しくて人格者で、一生の友達になるよ。

2年生の頃に短期留学に行くよ。外国人の友達もできるし、何より同じチームで派遣された男性と一生の仲になるよ。

児童福祉のアルバイトで、たくさんの子どもや職員さんに出会うよ。

全国様々な場所に行って、面白い人にたくさん出会うよ。


想像とは違う未来になった。きっと、これからもそう。予定なんてあくまでも予定で、どこでどう転ぶか分からない。

1つ確実なのは、「変化するということ」。変化することだけが、唯一分かることなのです。それ以外のことは、いくら強く願っても、誓っても、「絶対」とは言い切れない。今後もそれだけは言い切れます。

センター試験、お疲れ様。19歳の菜々を裏切ってごめんね。でも、生きてる。

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