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何も考えず、何も感じない人間になってきた

特にここ数ヶ月、何も考えないし何も感じない人間になってきた。

1~2年前は、本を読むと自分のこととして考えるし、雲の形をみると「ハートっぽいな」とか思ったし、小鳥の鳴き声を聞き分けて「下手くそなやつがいるな」と感じとっていた。

生きにくそうな人を見ると、「わたしは話すことしかできないけど、この制度知ってるのかな、教えてみよう」とか思ってた。

小さいことまで自分に取り込んで、何かを感じる力が強かった。

だけど最近は、そんなこと考えない。何を考えてるか?何も考えてない。

お金のことや仕事のことは多少考えるけど、身の回りの物や出来事にいちいち反応しなくなった。

美味しいものを食べたら「おいし〜」と思うし、役立つ本を読んだら「へぇ〜」と思うし、お金を使いすぎると「ちょっとやばいなぁ」と思う。でも、それ以上のことを思わない。

脳みそが浪費的になってる、とでも言えばいいのか。

難しいことをわざわざ考えなくなった。それは多分、考える必要がないから考えなくなったんだろう。

不合理な出来事は起きないし、理不尽を強いてくる人もいないから、自分の認知を変える必要がなくて、考える必要がなくて、ただただ受け入れるだけの人間になったのだろうか。

こんな今の状態のわたしは、詩なんて書けたものじゃない。

前は(クオリティは置いといて)世の中のいろんなことを感じ取っていたので、詩を書いていた。書かずにはいられなかった。

だけど今は、そもそも何も感じないし、感情もほぼ動かないので、詩なんて書けない。

最低限の生活が維持できるようになったから、平和ボケしてるんだろうか。

こんな自分が自分として生きてることがつまらなくて仕方ない。

前は生きづらかったけど生きることにやりがいがあって、もう少し精神に動きがあった。

その時はその時でまた別の苦しみがあっただろうし、懐古してるから過去が良く見えるだけかもしれないんだけど、それにしても今の自分は薄っぺらすぎる。

ぼけ〜っと、半開きの口で、半径2メートルのことだけ見て、「ふ〜ん」とか「へ〜」とか言ってる。

どうしたらいいか?って考えても、多分「待つ」しかない。何か今できることをしながら待つしかない。

何を待つかと言えば、昔の自分の再来でもなく、何らかの大きな出来事でもなく、老いでもなく、時が流れていくのを「流れていますね」って思うだけ。

結局そんなことくらいしかできない。


あと最近思うのは、本当に一人が好きだってこと。

自分のことは「一人が好きって言いつつ人見知りなだけで、本当は人と関わるのが好き」だと思ってた。

でも、多分違う。

自分は「人見知りじゃないし上手くやることもできるけど、一人が好きすぎる人」だと感じる。

人間との会話のタイミング、笑うタイミング、表情、どこを見ればいいのか、聞きたくないことで繋ぐ時間などが謎だ。

特定の誰かが嫌いなわけじゃなく、人がいる空間に窮屈さを感じる。

一人でピアノを弾いたり、動画を見たり、本を読んだりする時間が幸せだ。

こんなことを言えるのは、本当の意味で一人じゃないから。

結婚してるし、両親も妹も健康だし、遊べる友達も県内にたくさんいるし、ネットの知り合いもいるし。

本当の意味で一人じゃないからこそ「一人が好きだ」と贅沢を言えるんだけど、それにしても一人が好きらしい。

学校にいても、バイトしても、社会人になっても、集団でいることが大多数っていう圧力があって、いくら居心地の良さそうな場所にいても居心地が悪い。一人に勝る空間に出会ったことは無い。私だけがどこに行っても居心地悪いんじゃ無いか?私は何なのだ?と思う。

どんなにマイノリティっぽい場所に行っても、その中でさらにマイノリティっぽくなりがち。

生きるコツを掴み始めてるので生きやすいんだけど、なんか、自分と自分のズレを感じる。

平凡な若者である「自分」の内面を見つめたところでどうせ何もないし、人との関わりからしか得られないものもあるんだろうけど、やっぱり自分と自分の二人で楽しんでいたい。

多様とか言いながら画一に向かっている世の中が恐ろしい。

自由と言いながら、気づいたら不自由で動けなくなってる世の中が恐ろしい。

世の中に恐れを感じる。

自分だって世の中の一部だけど、どこかで「世の中と自分は別のもの」と思っている自分がまた、恥ずかしい。

本当に「世の中と自分は別のもの」だと信じてるなら、世の中が恐ろしくたって平気なはずだ。

年金とか就職とか事故とか、そういう「世の中」の話を聞いて気分が塞ぐのは、「自分だって世の中の一部だ」と、どこかで分かってるからだろう。

「好きな人と仕事をする」って、何だ。優しい世界に見えるけど、超冷たい世界だよ。みんなに嫌われるような性格の人はどんどん孤立する。だいたい、好かれる人や嫌われる人なんて一定の傾向があるんだよ。

個人の時代とか自由とか好きな人とか好きな仕事とか、そういうの全部、全体で見たら悲しい人を浮き彫りにさせて、より悲しくする作業に見えてくる。

孤立に次ぐ孤立だ。

みんなで生きやすくなろうぜなんて無理で、誰かが超幸せなら、誰かが地球の逆側で超苦しんでいる。そんなもんだと思ってる。

幸せの総量が決まってるとまでは言わないけれど、だいたい全体で考えると、どこかにしわ寄せがいってるだけだ。幸せ側の人間はそれを見ることができない(本当の意味で感知する目が無い)から、なんとなくみんな幸せな雰囲気を感じるかもしれないけれど。

理想の話が急に嫌いになってきた。理想の話をするなら「全体で」とか「みんなで」なんて言葉封印して、「自分は自分にとって都合の良い人生を追求してます」って言わなきゃ、偽善者のきわみだと思う。

どうにもできないので解決策を考えるわけでもないし、誰かに相談するわけでもないけど、もっと自分と自分のズレを無くしていきたいな、とは思う。

悪い意味で大人になってきた。

お金大事だし、クライアントワークはお金がもらえるし、ライティングも慣れてきた。

だからって大事っぽい部分を失うのはおかしいね。

悪い大人、出ていけ〜。


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