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自分の正しさを証明したいような気もするし、そうじゃない気もする

何かを頑張るにしろ、何かを批判するにしろ、「自分の正しさ」を証明するために活動しているような気がする。

その気持ちを大々的には打ち出していなくとも、結局は「自分を認められたい!」「自分のやってることの価値を分かってほしい!」になる。

誰かのために何かするとしても、「自分にとっては●●な方がいいと思うから、●●になるために、協力する」という感じで、結局自分の正しさを証明したいような気がする。

正しさは人によって明らかに異なるのに、自分の「正しさ」は、絶対的なものに感じてしまうときがある。

「自分が良いと思ったものは良いに決まってる」

と、自然に思ってしまう。

自分が作ったものに対して「センスないな〜悲しみ」となることはあっても、

自分の脳みそで考えていることに対して、「センスないな〜悲しみ」となることは、(私は)ない。

自分のことを、言うまでもなくセンスがあると思い込んでいる。

何におけるセンスなのか、センスとは何なのか、分からないけど。

自分の中の「正しさ」なんて、自分の中の正しさでしかない。

でも、それを当たり前のように思ってしまう。

良くないな〜と思いつつ、「でも自分はそう思ってしまうんだから、仕方ないよなぁ」とも感じる。

自分の正しさを証明するために、勝たなければいけないのだろうか。

勝たなければいけないのは、自分の正しさに自信がないからなんだろうか。

自分に対して心の底から酔える人は、自分の正しさを証明する必要がないかもしれない。

そんなに、勝ちたいとか勝たなきゃとは思わないけど、やっぱり自分の正しさを証明したがってる気がする。

「自分を活躍させてやりたい」って気持ちは、「自分の正しさを証明したい」の意味かもしれない。

視野が狭くて自分のことばかりで、なんか気持ち悪いな〜と思う反面、

自分とは一生付き合うんだから、自分の思うことくらいやってやれよ、自分、という気持ちにもなる。

最近、忙しくないのに忙しい感じがして、ソワソワ。でも落ち着こうとして落ち着いても、得られるものがあんまり無い気がするので、あからさまな休養などは取らないけど。

もっと動こう〜そして自然な形で人と協働して、いい気分になりたい。


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